今日のあなたの波動が明日を作る

あなたは生まれてから、何回今日と言う1日を生きてきたでしょうか?私の年齢で計算すると、ざっと2万5千回です。

この数を多いと思うのか、それともそんなものかと感じるのか、どちらだか分からないのですが、ともかくそれだけの回数の今日を迎えたわけです。

しかも、どんな今日がやってくるのかはその都度分からない訳で、その日何に遭遇したのかについては、たまたま、偶然というように考えがちです。

つまり、自分という存在に対して、未来から次々と1日が送られてくるのですが、その内容は自分では決められないというわけです。

けれども、本当はそうではありません。実は、明日やってくる1日も、明後日やってくる1日も、その先も全部、これまでの自分の生き方が生み出しているのです。

これまでどのように生きてきたかと、明日以降に起きることは無関係ではないということに気づくことです。

もしも明日、ものすごく楽しい1日を過ごしたいと望むのであれば、今日をそのように生きるように意識することです。

そうすれば、今日のあなたが明日のあなたを作り出すわけですから、明日も楽しい1日になる可能性が大なのです。

その逆も然り。だから、明日の幸せを掴むために、今日という1日は歯を食いしばって辛く苦しくても頑張る。

これをやったら、決して楽しい明日はやってきません。これは明らかですよね。ところが、そんな毎日を送っている人が意外にも多いのです。

未来のために今日を犠牲にするなら、その犠牲的エネルギーが明日以降を作り出してあなたにプレゼントするということを忘れないことですね。

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親の正しさを押し付けられた子供は…

子供がまだ幼くて、一人前になれていない頃というのは、親としては子供をなるべく正しい方向へと導こうとするものです。

親としては、より良い人生、より幸せな人生へと向かって行って欲しいので、そうなるためにはという考えのもとに、子供に接するわけです。

そこで、親は親なりの子供に対する期待値を持っており、子供は必ずしもその期待値通りではないことがほとんどです。

そうなると、その落差に対して、親は落胆したり悲しんだり、あるいは怒りで自分の気持ちを表現したりします。

よく言えば、叱る、悪く言えば自分の怒りをムキ出しにして怒鳴るなどです。親は自分が正しいと信じているので、この態度はなかなか変わりません。

子供は、特に素直な子供ほどですが、親の期待に応えられていない自分を悪者扱いしてしまうのです。

そして、親のことが怖いと感じているなら、素直な自己表現を抑えてしまうようになるのです。つまりは、怒られっぱなしの状態。

そうなれば、子供の心には怒りが鬱積して、それを表現する代わりにあらゆる問題行動を起こすようになるのです。

そうなると、その問題行動を見てさらに親は怒るようになって、負の連鎖がここで起きるようになってしまいます。

こうなると、その子供の未来に待っているのは、社会に出てから年上の人たちから散々怒られる人生なのです。

そうなる前に、ことの本質に気づいて日々の親子関係を改善する必要があるのですが、親の方が気づかなければなかなか難しいでしょうね。

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幼い子供って天使なの?

街を歩いていて、綺麗なおねえさんにも目が止まるけれど、それよりも頻度が高いのは幼い子供たちやワンちゃんたちの方。

幼い子供や動物たちに共通するのは、みんな無邪気だということですね。防衛が少ない、つまり無防備だということ。

その状態が愛のエネルギーであることは間違いないことです。その愛を感じさせてくれるので、可愛いなあと感じるわけです。

あるとき、ものすごく無邪気でまるで天使のような可愛い女の子がお母さんと歩いていたのですが、神はすごい存在を創るなと。

そしてふとイメージがやってきたのです。もしも、その子に何かの危険が迫ってきたとしたら、自分は身を挺して助けるに違いないと。

それは決してカッコつけでも何でもなくて、その瞬間は無我夢中の状態、つまり自我が一瞬消えている状態になるのだろうと。

だから、怖くもないし、自己犠牲も何もないのだなと。自分自身も自我が消えている状態では、無防備になれるわけで。

そうなったら、ただただ飛び込んでいって助けることになるのだろうなと。あれ、歳とったからなのかなと。

若い頃は子供は苦手な部類だったのですが、年齢を重ねていくうちにものすごく可愛らしく感じるようになってきた感じがしていて不思議です。

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音楽と共に瞑想するメリット

瞑想するときには、全く音のない環境でするべきという勝手な思い込み、ルールがあったのですが、それを取っ払ったのです。

そうしたら、物凄く気持ちよく瞑想をすることができて、何だもっと早くから気がついていればよかったなと。

ちょっとしたお気に入りの曲を連続でかけて、それにある程度耳を傾けながら瞑想すると、いい具合に集中するのです。

もちろん気が散ってしまうような曲を選ぶと、逆効果になってしまうので注意が必要ではあるのですが。

音楽を聴きながら瞑想するメリットはいくつかありますね。あまり、深く入れないなあという日であっても、嫌にならずにできること。

いい状態になるのに時間がかかるなと思っても、苦にならずに続けていられるのです。それと、もう一つ。

それは、自動思考がほとんど気にならなくなることですね。このメリットは大きい。何なら自動思考がなくなってしまったかもと思えるのです。

そして、たまに曲をかけずに瞑想してみると、まだ自動思考があることに気づきます。それも不思議なことに、自分ではない知らない誰かの声でやってきます。

普段聞こえてくる自動思考の声は、自分の声に似ているために自分が考えていると騙されてしまうのですが。

知らない奴の声で聞こえてくる自動思考、そのおかげで自動思考は100%自分(自我)ではない、別の何かの思考だということがわかるのです。

きっと、左脳そのものが繰り出す思考なのでしょうね。だとすると、相当に不気味な感じがしてきますね。

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意識が誘う高次元

瞑想をしていて感じるのは、どこへも行くところがないという感覚。これを感じているのは、おそらくは自我なんでしょうね。

なぜなら、自我は時間的には過去と未来という広がりを持っているし、空間的にはこの宇宙の広がりを持っているからです。

その広がりの中を自由に動き回ることができる、あるいはそうしたイメージを作り出すことができるわけです。

もちろん、現実的には時間は過去から未来への一方通行だけなのですが。イメージとしては無限の時間的広がりの中で遊べます。

ところが、瞑想中にはその時空的な広がりが徐々に狭められていって、終いにはただ今この瞬間だけになってしまうのです。

時間が消えて、空間が消えて、どこへも移動することができなくなってしまうと自我が感じるのは、当然のことかもしれません。

けれども、その時にこそやっと純粋な意識がしっかりと姿を現すことができるのですね。普段邪魔されて十分に表舞台へ出てこれなかった意識。

意識が時空を移動できないのは当然で、それはその上位の次元にあるからです。全ての時間と空間を満たしていると言えばいいのか。

その意識が時空を超えた高次元へと誘ってくれるので、それがとてつもなく気持ちいいのです。不思議なことに、自我もそれは好きなようです。

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最強の便利ワード発見

なくて七癖というくらい、人にはそれぞれに特有のクセがありますね。クセの中でも特に気になってしまうのが、言葉のクセ。

自分にはそんなものはあまりないのではないかと思っていたところ、この数ヶ月の間に繰り返し動画を配信していたら、気づいてしまいました。

やたらと、「なんか」と言ってしまうのです。他にもいろいろあることはあるのですが、でもこれが一番気になります。

それで友人と、その言葉を多用してしまう理由やら、その言葉の持つ意味やニュアンスなどについて話し合ってみたのです。

すると、意外なことに気づきました。実は、自分が「なんか」を多用していることに気づいてから、他人のYouTubeを観てチェックしたのです。

すると、この言葉を使っている人の何と多いことか。厳密に測定したわけではないのですが、比較的若い人の方が多いかもしれません。

そして、この言葉を使うと言葉の持つパワーが柔らかくなるということを発見したのです。明確にするよりも、その反対に曖昧にする力があるようなのです。

例えば、ただ「楽しい」というよりも、「なんか楽しい」と表現した方が緩やかな感じがしませんか?

日本人特有の、物事を断定するよりも、「かもしれない」のようなニュアンスにして、角が立たないようにする感じ。

ネガティブに言えば、自信がない場合の表現とも言えますね。だから若い人に多いのかも。これ、気になりだすと止まらない。

その人がいつ「なんか」を繰り出すのかを待ってしまったり。一本の動画で、私が何回「なんか」を口走ってしまうのか、チェックなどしないように!

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偉大な力にお任せする

下記のoshoの言葉、言っている意味は重々分かるのですが、これを受け止めるには信頼が必要となるのでしょうね。

『瞑想し、祈り、待ちなさい
何ごとも欲しないこと
あなたのなかには
あなた自身のどんな力よりも偉大な力があるのだから
ただし、それはあなたの意志がはたらいていないときに
はじめて現れるものだ』

これを言われてしまうと、もう元も子もないのですが、自我として生きている限りは常にこのジレンマを感じながら生きるしかないのです。

自我のどんな努力や意志力を駆使したところで、太刀打ちできるようなものではない偉大な力が隠れているということ。

しかもその力が現れるのは、自我の欲望を使わない時に限られると。それを感じたいのですが、それを感じたがっている自我が唯一の邪魔だと言われては、どうすることもできない。

瞑想し、祈り、待つ。どれも自我にとっては、苦手意識があるものばかり。それで思いつくのは、「お任せ」という言葉。

その偉大な力を信頼して、それに委ねてお任せすることができれば、何もかもがスムーズに進行し出すことは、どこかで分かっているのですが。

せっかく地球に来たのですから、自我のバカバカしさを満喫するのか、あるいは自我から離れて本質の力を感じながら生きるのか。

どちらも間違ってないし、どちらが正解ということでもないのでしょうね。

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どちらでもない人生

クライアントさんとのセッションやこのブログなどでも、頻繁に出てくるワードに「存在価値」というものがあります。

存在していること、そのものの価値ということですが、この感覚って明確に分かっている人の方が少ないのかもしれないですね。

自分は生きていていい、自分はあるがままでいいという感覚、自分の容姿や性格、あるいは人格や能力といったものとは全く異なる「存在」の価値です。

自分のあるがままを繰り返し受け止めてあげれば、一人でにその感覚は養われていくものです。だから、幼い頃の家庭環境が大きく影響するのです。

とここまではいつものと同じですが、もっと深く見ていくと「価値」というのは単なる思考によって捻り出されたものだと分かります。

そんなものは実在しません。だから、存在価値といったところで、それは思考の中のこと、仮想的なものでしかないのです。

価値というのが単なる概念、観念でしかないのですから、自分には価値がないとか価値があるとかの両方とも実在しないということです。

これが腑に落ちるととても楽になるはずです。同じようなことが、「自信」についても言えるのです。

自分は自信がないので自信をつけたい、そう考えている人はたくさんいますが、自信がないとかあるとかというところから脱出するのが最良なのです。

自信があるということからも、自信がないというところからも離れてしまえばいいのです。自信そのものとは縁のない生き方です。

こうしたことが分かってくると、それまでの自我の作ったワナから脱出することができるのです。どちらでもない人生、ぜひ実現したいものですね。

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「当たり前」が感動と感謝をなくす

osho が、「人は呆れるほどに鈍感だ!」というようなことを言っていたのですが、この真意に気づかないのも鈍感だからかもしれません。

鈍感になっていると、感動がやって来づらくなるものだし、あらゆることに対して当然と思い込んでしまうのです。

だから、有難いという気持ちが湧いて来なくもなってしまうのです。鈍感さは、感動と感謝を分からなくしてしまうのですね。

自分がこの世界にやって来たことに対しても何とも思わないし、朝目が覚めることに対しても当たり前と思うのです。

この人生が全自動で動いているのも本当は不思議極まりないし、自分の身体が生命を維持し続けているのも驚異的なはずなのに。

自分の心の中から「当たり前」を無くしてしまったら、どれほどの感動と感謝を味わうことができるようになるのか?

きっと、感動と感謝の洪水の中でもみくしゃにされて、茫然自失状態になってしまうかもと思うほどです。

「当たり前」は大損だと気づくこと。どんなことでも当たり前ということはないのだと、明確に気づいていることですね。

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内面だけで満ち足りる

引き寄せの法則って今は誰でも知っていると思いますが、要するに願い事を引き寄せることができるという法則のことです。

ただしこれは願い事だけが引き寄せられるわけではなくて、正確に言うならエネルギーはともを呼ぶということです。

つまり、その人のエネルギー(波動)に見合った現実が引き寄せられて実現するということを言っているのです。

だから、引き寄せられるのは願い事だけではなくて、都合の悪い事態だって同じようにして引き寄せられてしまうわけです。

それはともかくとして、願い事が叶ってしまったら本当に幸せになるのか、ここを確実なものにしておかないとならないですよね。

実は都合のいいことが引き寄せられて幸せになったとしても、それは長くは続かないのです。そして、不都合なことが起きなくなるということもない。

都合不都合はそれなりに織り交ぜてやってくるに決まっているのです。だから、問題は何を引き寄せるかではないのです。

究極的には、何が引き寄せられたとしてもそこからは独立した気分でいられるかどうか、これが鍵なのです。

自分の気分を常にコントロールすることができるようになったとしたら、引き寄せの法則などどうでもよくなるはず。

それなら、外界で何が起こるかよりも、もっともっと内面に意識を向けて、そこにこそエネルギーを注ぐことです。

そうしたら、今すぐにでもここが天国になってしまうはずです。外界に依存せずに内面だけで満ち足りる生活、これが理想ですね。

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