義務と責任

この世の中では、立派な人、ちゃんとした人というのは義務や責任をきちんと果たす人だと思われています。確かに、与えられた義務や責任を中途半端に投げ出してしまえば、いい加減な人だと受け取られてしまいます。

この義務や責任というものを、正確に表現するとそれ自体は客観的なものであって、本人にとっては義務感や責任感という感覚として知覚されます。

ですから、大切なのは義務と責任ではなく、心の中にある義務感と責任感であるわけです。尊敬される人は、その感覚を強く認識して、それを行動としてまっとうする人物であるわけです。

しかし、本人の幸福感という最も大切な観点から見た場合は、本当に義務感や責任感が強ければいいでしょうか?そんなことは決してありませんね。

例えば、私がやっているヒーリング講座は、私がそれを開講して進めているものですから、私がそれを遂行する義務も責任もあるというのは当然です。

自分が体調を悪くして講座ができなくなったりしたら、義務や責任を果たしてないということになります。だからといって、そのことに大きな義務感や責任感を持って遂行できたからといって、そのことで幸福感を得られるわけではありません。

大切なことは私自身が講座を楽しむということなのです。楽しいし、みなさんと一緒に進めていくことが嬉しいので、講座を続けているというその事が自分の幸福と深く関連する唯一のことです。

そう考えると、極端な表現をすれば義務感も責任感もいらないということになります。実際、私はほとんどそういった感覚を持たずに講座をやっています。

逆に義務感、責任感が強かったら、最後まできちんとやれるかどうかということが不安の種になってしまい、楽しめなくなってしまうかもしれません。

立派な人と思われる必要も尊敬される必要もありません。自分がその瞬間を楽しむこと、喜びを感じること、深い平安に包まれていること、これだけが幸せと密接に繋がっていることです。

自分の心の中にある、様々なことに対する義務感や責任感をできるだけ手放しましょう。それに縛られると、毎日が楽しくなくなってしまいます。それではせっかく楽しもうとして計画していたことが水の泡になってしまい、それこそ本末転倒です。

喜びが愛です。義務にも責任にも愛の要素はありません。

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