分離不安 その2

昨日は精神的な苦悩の根本には分離不安が潜んでいるというお話しをしました。そして誰でもが分離不安を持っており、単に人によってそれぞれ自覚する大きさの違いがあるだけだとも書きました。

幼子が親との精神的な分離をし出すときには、相当な心の痛手を負うことになるのですが、日常生活がその子にとって親から安心をもらえているような環境であると、うまくその痛手をすり抜けられるのです。

しかし、親との関係に問題があるとそれだけでも不安を強いられる毎日を送ることになってしまうため、精神的な分離は計り知れないほどの恐怖となってしまいます。

そうなると、自立を期待されているこの世界においては、依存に執着することになりますので適応障害というレッテルを貼られてしまうことになるのです。

だからといって、分離不安を強く持っているとしても、そのことを否定的に考える必要はありません。それは単に自立して立派な自分を目指すエゴの成長が充分になされないということだからです。

私たちの真の幸せは自立することではありません。自立してこの世界で認められて成功したとしても、そこで得られるのは一過性の安心でしかありません。

分離不安とは当たり前すぎるほど当たり前の恐怖なのです。なぜなら、愛はすべては一つという想念であり、分離はそれと真反対の状態を意味するからです。

分離するということは、愛のない状態であり、それは恐怖を意味します。したがって、分離したことを何の不安もなく受け入れられるということの方が間違っているとも言えるのです。

強烈な分離不安から孤独感が強く、依存し続けてしまっているとしても、それはある意味当然のことなのです。ですからそのことを嫌悪する必要はないのです。

それよりも、分離からすべては一つという状態に戻すためにどうしたらいいかを考えるべきですね。自立したとしてもそれはより深く分離することになるだけです。

依存の問題点は自立できないことではなく、愛を与える側に立っていないということです。自分の心に愛を感じることができれば、自動的に分離感から開放されていくはずなのです。

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