略語

その時代その時期に、ある種自然発生的に略語が生まれて、知らぬ間に市民権を得てしまうということがありますね。例えば、携帯電話のことは、ケータイと略してカタカナで書く習慣が私自身ついています。

最近空気清浄機を購入したら、アレル物質という表記があり、何だと思ったらダニのふんや死骸などのつまりアレルギー反応を起こさせるもののことだと分かりました。

あるクライアントさんからご予約のキャンセルのメールが届いたのですが、読んでみると「すみません、リスケさせてください。」と書いてありました。

なんだろうと考えて見たのですが、分からなくてネットでその言葉を検索してみたら、どうもリスケジューリングのことらしいと分かりました。

こうなると、略語というよりも俗語(スラング)のような感じにも思えますね。このような略語に対して、自分の自覚として実はとても理不尽な感覚を持っています。

それは、自分が知らない略語を使われるとどういうわけか若干ムカッとくるのですが、その一方で自分が率先して使う場合には何の抵抗感もないのです。

これぞ究極の我がままだなと自分で思って苦笑いするのですが、なぜそんな内面の反応をしてしまうのか少し考えてみたら、その理由が分かりました。

その根本的な問題は見捨てられ不安から来ているらしいのです。つまり、自分の知らない略語を他人が使っているのを聞くと、どうも自分だけ取り残されたような感覚がするようなのです。

知っている人たちだけで楽しくその言葉を使いまわしていて、自分だけつまはじきにでもあっているような、そんな感覚なのだと分かったのです。

その本心を隠すために、何となく生意気な感じがするとか、妙に聞いていてムカムカするといった反応に変換していたのだと思います。

だからこそ、自分が使う場合には何とも感じない、むしろ略することが当然のように思えてしまうのでしょうね。勝手なものです。

自分の反応が何か妙だなと思ったときには、しばらく内奥を見つめていると意外なことに気づくことができるものですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です