問題は問題ではない その2

昨日は、表面的な問題と思えることは、実は本当の問題の結果であるというお話しをしました。結果をいくら改善する努力をしても、元の原因を見出さねば何の解決にもならないのです。

そのことについて、また別の観点から見ていくことにします。私は若い頃からずっとクルマの渋滞がとても苦手でした。

特に高速道路での渋滞は逃げ道もないですし、高い高速料金を払った上でのいつ果てるともないノロノロ運転を強いられるのは大問題と憤慨していました。

道路の設計がなってないからだとか、連休などの民族大移動がいけないんだとか、こんなときに旅行に行こうと言い出す家族が悪いとか、もうそれは様々な問題点を見つけようとしていました。

昨日の論理で考えると、渋滞にはまるという表面的な問題を見るのではなくて、目には見えない心の中の原因を見るということでした。

確かに心の奥には渋滞に遭遇させるさまざまな原因が考えられるのですが、それを一つひとつ見ていくよりももっと手っ取り早い解決法があるのです。

それは、問題を問題として捉えてしまう心そのものを問題と見るということです。つまり、自分が渋滞に巻き込まれてもそれを問題視しなければいいのです。

それは渋滞という事態を許すという心の行為によって解決していけるのです。よくよく考えてみると、どんなひどい渋滞にはまってしまったとしても明日からまた普通通りの生活があるだけです。

そこで憤慨したり、イライラするだけ自分が自分を苦しめているだけだということに気づいたのです。事態を許すという気持ちになれると、ス~ッと気分が楽になるのです。

本当にそういう気持ちになれると、今度は渋滞に巻き込まれたときにまたそれを許すという練習ができると密かに喜ぶくらいにまでなりました。

自分の気持ちをその状態に保つことができると、何を目にしても、どんな状況に遭遇しようと問題とは思わないでやり過ごすことができるようになるのです。みなさんもいろいろな状況で試してみて下さい。

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