よく人はみな本質的に平等だから、あるいは対等だから50対50、つまりフィフティ・フィフティだねなどという言い方をします。
ある人とある人との1対1の人間関係があるとき、それがうまく行くこともあるしそうではない場合もありますが、その責任は互いに等しくあるということです。
どちらか一方だけにうまく行かない責任があるということもないし、うまく行ったからといって、どちらかの一人のおかげということもないということです。
どちらも同じだけの責任が託されているということですね。つまり、自分は半分だけ頑張れば後は相手の責任だということになるわけです。
双方の努力や責任を足す事で100%になると言っているわけです。しかし、それは本当の話でしょうか?
確かにその二人の関係を第三者的に客観視すれば、そのようなことが言えるとも思います。しかし、当人たちのそれぞれの立場から見るとそうではないと考えています。
AさんとBさんの関係に問題が生じているとした時に、もしもAさんがセラピーにいらしたとしたら、私はAさんにその関係がうまく行くかどうかは100%Aさんにかかっていると説明します。
もしも、Bさんがいらしたとしても、その場合にはBさんに100%かかっていると言うはずです。すべて、当人が持っている人間関係の行方は、本人が100%握っているということなのです。
それは、相手の本人に対する対応の仕方は、本人の相手への対応の仕方と同じになるからなのです。自分の対応がそのまま相手の態度に反映されるということです。
この原理が理解できれば、人間関係は100対0だという意味が分かっていただけるはずです。関係の良し悪しを相手に期待しないというように言い換えることもできますね。
もしかしたら、自分は最大限の誠意を持って相手と向き合っているのに、相手はいい加減な態度で接してくるのでどうしようもない、と思っている方もいるかもしれません。
そんな場合でも、100対0の原理は成り立つのです。それは、自分の自覚としては誠意を持って対応しているつもりであっても、心の底では相手を憎んでいたり嫌っていたりすることがあるのです。
そうすると、その部分が相手の自分への態度として反映されてしまうということです。この原理に例外はありません。
いつも相手が誰であっても、その関係を気持ちのいいものにしたいと思ったら、この100対0の原理のことを思い出して対応する自分の心を見つめなおして見てください。きっと、何か突破口が開けてくるはずです。