幼い頃の決意

人はより幸せになるために、もっと自分を進化させたくて様々な決意をするものですね。タバコが大幅に値上がりするので、この機会にタバコをやめようなどはそういった決意の一つです。

毎年元旦にその一年の目標を定めて、それを実行するように決意するという人もいます。そのようにして、大人になると明示的に決意するという行為をします。

勿論それほど意識せずとも小さな決意は毎日沢山しているのですが、やはり自分でもより大切な事柄に対する決意は覚えているものです。

それにもかかわらず、上記の例のように禁煙を決意したとしても一体どれだけの人がこの値上げを期に本当に決意どおりにタバコをやめられるでしょうか。

大人の決意というのは、場合によってその強さ、硬さにはかなりの違いがあります。ところが、子供の頃にした決意というのは実は半端ではないくらいに強く硬いものとなりやすいのです。

我々大人になると、子供でも決意などするのだろうかというくらいに捉えがちですが、子供でも立派に様々な決意をしています。

そして大抵の子供の頃の決意はある意味命がけと言ってもいいくらいなのです。逆にそうでもなければ、幼い子供が決意などするはずがありません。

タバコを吸うわけでもないですし、メタボ対策をする必要もないし、それほど人生の未来を不安に感じることもないのですから、大人のようにいろいろ決意しなければならない環境ではないはずです。

そうした中での決意ですから、その思いというのはとても一途だし、深刻であるわけです。それはたとえば、親に叱られて泣いたときに、親から泣くなと厳しく怒られたりしたら、もう泣かないと決意するのです。

また、親や周りの大切な誰かがかわいそうに感じたとしたら、その相手に対して、甘えたり、訴えたり、文句を言ったりするのをやめようと決意するかもしれません。

その決意には今日生き延びるために死守するというくらいの必死さがあるということです。つまり、幼い頃の決意には自己防衛の色彩がとても濃厚だといえます。

そしてその決意は大人になっても継続していることが圧倒的に多いのです。本人はそんな自覚はないのですが、その生き方を紐解いていくと必ず幼い頃の決意に今でも操られているということが分かってきます。

その決意は過去の自分を守るためには有効だったかもしれませんが、大人になった自分にとってはとても不自由さを感じるはずです。

自己表現が苦手であったり、感情を素直に感じることができなくなってしまったり、不要な笑顔でいつも取り繕ってしまったりといったことが続いてしまうのです。

日々の生活の中で何らかの不自由さを感じるとしたら、自分の幼い頃に何か強烈に決意したことはなかったか過去に戻って調べてみることがとても必要だと思います。

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