自分の中の確かなもの その2

その部分と繋がると、不安が消えていくのが分かります。このままだと困ったことになるなあという事態に陥ったとしても、その部分が安心をくれるからです。

昨日もお話ししましたが、その部分は必ず誰の心の中にもあるはずです。長い間、人の心ばかりを扱ってきて分かるのですが、誰の心も本質的には全く同じなのです。

自分の心は他の人のそれとは明らかに違うと感じているのは、そう信じているからです。実は何の違いもないのです。

信じたことがその人の真実となってしまうだけです。自分は人とは違うと思い込んでいる心の部分、それをエゴと呼びますが、私たちはその部分を意識して生きていると言うことです。

だから自分は誰とも違う一人の人間だと信じているのです。そして、誰の心にもある確かな部分こそが、実は本当の自分だということです。これは信じるということとは違います。

そして驚くべきことに、その部分は誰もが持っているというよりは、すべての人が共有している一つのものだということです。共通の属性ということではありません。

全人類60数億人全員で共有しているということです。したがって、それと自分の意識が繋がると、みんなは自分だということに気づいてしまうことになります。

だからそこでは争うということも比べるということもなく、したがって裁くということもできなくなってしまいます。なぜなら、すべてが自分であるからですね。

対象物がないのですから、自分が傷つけられるという心配がなくなってしまいます。だからといって、独りという感覚とは全く違います。

あまねくすべてが自分だいう大きな心です。だからこそ、不安や恐怖から開放されて、それと繋がると安心がやってくるのです。

誰もがそれと繋がることができます。そのことを否定する気持ちが強いと邪魔されてしまうかもしれませんが、それでもいずれはみんながその部分のことに気づくことになるはずです。

なぜなら、その部分こそが本当の自分の姿だからですね。気づくために必要となるのは、それに対する否定的な思いをやわらげてあげることだけです。

他には何も必要ありません。努力することも修行のように何かをひたすら実行することもいらないと思います。ただ、心を静かにしてその部分を意識してみようと心がけるだけでいいと思います。

信じなくても構いません。それはきっと信じる心よりももっと大きな何かだと気づかせてくれるはずだからです。

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