分かろうとする心

裁くという言葉は日常ではあまり使わないと思いますが、口語で言うと批判するとか、価値判断するとか、悪口を言うなどということになるかもしれません。

この裁くということの反対は何だと思いますか?それは分かろうとするということです。私たちの心は本来知らないものを分かろうとする性質を持っています。

ですから、分かろうとして物事を見ているときには心はいい状態であるということができるのです。何かにとても好奇心を抱いて見つめるときの子供の邪心のない表情などは見とれてしまうぐらいに可愛いものですね。

ある意味分かろうとする心は愛だともいえるのです。とても気になる異性がいると、その人のことを知りたくなるものですよね。

興味を持つということは、それを知りたい、あるいは分かりたいという欲求だと言い換えてもいいかもしれません。だからそれは愛と親戚関係にあるはずです。

逆に興味のないものには、人は無関心でいられるわけですが、それは知りたいという思いが生じていない状態なわけです。

分かろうとしているときの心は、それを受け入れようとします。従って、それは裁いたり、批判したりする心とは正反対だということが分かるはずです。

分かろうとする心が愛に近いとすれば、裁く心とは愛の反対、つまり恐れと親戚関係にあると言ってもいいですね。

私たちは何かを批判したくなるときには、このようにして対象のことを分かろうとはしていないのだということに気づく必要があります。それは拒絶であって、その大元には恐怖があるのです。

従って、何かを批判しようとするときには、愛から一番遠ざかった心の状態になっているということをよく覚えておくことです。

そして、もしも自分は愛を選びたいとするのなら、対象を知りたいという思いで見ることです。その時には心は正常な状態になっているはずだからです。

誰かのことを否定したくなったら、その人のことを分かろうとはしていないのだと自覚することです。分かろうとすれば、必ず肯定的な思いというものが芽生えるのです。試してみて下さい。

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