自由に生きる

子供のころに白いスピッツの雑種犬を飼っていたことがありました。今から思うととてもかわいそうなのですが、自分は友達と遊ぶことに夢中でほとんど散歩をしてあげることもなかったのです。

彼は時々、みずから首輪をはずして大喜びで近所を走り回ったりすることがありました。飼い主としては、心配なので何とかしてつかまえようとするのですが、ぎりぎりのところまででスルッと逃げられてしまうのです。

一度そういう状態になると、なかなか捕まえることができずに、随分と手を焼いたと思います。でも、彼の身になって考えればそれも当然のことですね。

来る日も来る日も毎日、鎖に繋がれて自由にあちこち歩いたり走り回ったりすることもできなかったのですから。

偶然に首輪がはずれて自由の身になったら、それは嬉しくておいそれとつかまっては堪らないというのも分かるというものです。

そのときの彼のはしゃぎようと言ったらなくて、普段の鬱憤を晴らすがごとくにあちこちに飛び跳ねて遊びまくるのです。

それでも、目の届かないような遠くに行ってしまうことはありませんでしたので、いつかは捕まってしまい、また元の不自由な生活に戻されてしまうのでした。

彼と比べて自分は毎日なんて自由な生活をしているんだろうと、しばしそのことに思いを巡らしたこともあったと思います。

しかし、今になって自由というものをよく見つめてみると、物理的には確かに自由を満喫しているかもしれませんが、心の自由についてはどうでしょうか。

人はいろいろな制約を自分に課して、その枠内で何とか生きているのではないでしょうか。自分の命がもうすぐ尽きると分かったら、もう少し自由な気持ちで生きることができるはずです。

それなら、今日からでも自分の心の不自由さをよく見て、そうした自分で自分を縛っている原因を突き止めて、そこから開放されるようにしてみることは無駄なことではないはずです。

どうせ一度の人生です、もっともっと自由に何事にも縛られずに、人から何と思われようと気にせずに自分の人生を楽しむことにしようじゃないですか。

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