誰でもそうなのだろうと思うのですが、幼い頃は母親と一緒にお風呂に入って、髪を洗ってもらうときには赤ちゃん抱っこ状態になっていたはずです。
つまり仰向けになって、首の部分に腕をあてがってもらってとても楽な姿勢で顔に水が跳ねないように細心の注意をしながら丁寧に洗ってもらっていたのです。
ところが、ある日のこと、母親がそろそろ身体も大きくなってきて、狭い洗い場で赤ちゃん抱っこするのは窮屈だろうから、大人のように腰掛けて髪を洗おうかと言われたのです。
勿論即刻拒否しました。きっと、一度くらい試して見たときに鼻の中や目、耳にお湯が入って散々な思いをしたことがあったからでしょう。懲りていたんですね。
聞いた話しによると、その後も長い間ずっと赤ちゃん抱っこで髪を洗ってもらっていたようです。子供の立場からすれば、一番楽な洗い方を続けたいのは当然ですから。
気がついたときには、自然と独りでお風呂に入って自分で髪を洗うようにはなっていたのですが、相当大きくなるまで続いていたというのは恥ずかしい限りです。
母親などに強く躾けをされずにいて、そうしたことが外部の人に触れて、甘ったれだねなどといわれるまでは恥ずかしいとも感じないので、続いてしまうわけですね。
何かと世話をやきたい気持ちが満々の母親に育てられると、子供の大切な好奇心や自立心を知らずに削いでしまうことになるのです。
まだ小さいからとか、危ないからとか、失敗するに決まっているから等々、あらゆる理由を見つけてはついつ手を出してしまう親は沢山います。
そんな過干渉の母親を全く困ったものだと思っていたのですが、癒しを続けてきた今となっては、そこにも厳然と母の愛情があったのだと分かるようにもなりました。
世話焼きの過干渉は確かに自立を遅らせてしまう要因になるのですが、それでもいつかは自分の力で自立していくことができます。
それさえ分かれば、あとは感謝の気持ちだけが残るのです。