暗黙の共通感覚について

以前、大阪市長の橋下さんが、「ふわっとした民意」という言葉を使ったことがありました。ものすごく的を得た表現だなと思ったのを覚えています。

私たちは、互いに示し合わせたわけでもないのに、何となく伝わる暗黙の共通感覚というものを持っていますね。それは、非常に微妙なものです。

育った国が異なってもその共通感覚を持つことはできないし、同じ日本人同士でも地元が異なったり、世代が違うだけでも共通感覚は薄れていってしまいます。

私たちは、ほとんど自覚することなしに、その暗黙の共通感覚を使って、他人とのコミュニケーションをしているのです。もしも、それが欠けていたりすると、対人関係に不安を感じるはずです。

なぜなら、自分はこう感じているのだけれど、他のみんなは一体どう感じているのだろうと、いつもいつも疑問になってしまうからです。

自分の感覚や気持ち、意見や主張に常に自信を持つことができないのですから、人との付き合いに不自由な思いをすることになってしまいます。

過敏気質で産まれた人が、成長段階で自己表現を十分にしてこなかったりすると、その暗黙の共通感覚というものを身に着ける大切な機会を逃してしまうのです。

そういう人が大人になると、他人との適当な距離感をつかむことができなくなったり、心を開いて他人とコミュニケーションをとることが非常に不得手となるのです。

もしもこうしたことに心当たりがあると感じるのでしたら、理性による努力をいくらしてもなかなか解決しないということに気づくことです。

自分が日々行っている自己防衛に気づき、少しずつ無防備さを身に着けていくことに意識を向けることです。そうした心の癒しによって、徐々にですが人を恐れる気持ちが和らいだ先に、共通感覚が身に付くチャンスがあるのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です