何かに夢中になることを、我を忘れて没頭するというように表現することがあります。それは、自分がここにいるということを忘れてしまうほど、何かに熱中している状態なのです。
たとえば、人からの評価を気にせずに、思い切り大好きなカラオケで熱唱する時、そこにはあなたはいなくなり、歌だけがそこにあるという状態になっているのです。
失敗することを忘れて、狂ったように踊るなら、その時に踊っているあなたは不在になるのです。こうした我を忘れる体験をしたことがある人も多いのではないでしょうか?
その瞬間、自我は消え失せているのですから、その心地よさは格別のものがあるでしょう。けれども、その一方でそうした我を忘れる体験をしたことがないという人もいるはずです。
周りのみんながノリノリになっていても、どうしても心のどこかで冷めている自分がいて、一緒になってワイワイ騒いだりはしゃいだりすることが苦手な人。
なんで自分は、みんなのように思い切り人目を気にせずに、その瞬間を楽しむことができないのだろうかと悩んだりしてしまうこともあるかもしれません。
私自身もどちらかというと、このタイプではないかと思うのですが、もしもあなたがこのタイプであったとしても、心配したり気に病む必要などありません。
我を忘れることが決してできないというなら、その代わりに徹底的に自分を見るということを実践すればいいのです。元々、このタイプは自分を監視している心の部分が強いのですから、見ることには慣れているはずなのです。
できるだけ自分を見る、自分の意識に注意を向け続けることを実践していくうちに、いずれは観察者としての自分が消えて、観照者としての自分になっていくのです。
そのときには、我を忘れる状態と同じように、自我は消え失せてしまっているのですから。どちらの方法であろうと、無である自分の本質に気づくことになるのです。