お恥ずかしい話し

今から40年くらい前になりますが、私は大学生のころに安アパートで一人暮らしをしていました。そのときに、記憶が正しければですが、7週間程度オナニーをせずに過ごしたことがありました。

20歳くらいのもっとも血気盛んな時期であって、男性なら分かるはずですが、性欲が自分をコントロールしてしまうような年代だったわけですから、なかなかの忍耐でしたね。

部活もせずに暇な毎日を暮している中で、その強い性欲を自分はどのくらい我慢していられるものかという興味と、欲望に打ち勝つ理想的な自分になりたいという思いがあったのかもしれません。

ちょうどそのときに、彼女がいなかったというのも手伝っているはずです。一か月以上もそんな生活をしていると、ジーパンの上からであっても股間を何かが触れるだけで、危ういと感じることもありました(笑)。

バイト先の炉端焼きの板長さんに、何かの折にそのことを話したときに、「絶対にウソだ!、お前らみたいに若い奴がそんなに我慢できるはずがない。」と言って信用してもらえなかったことをまだ覚えています。

なぜ、こんな恥ずかしいバカなことをお話ししているかというと、人は誰でも不完全なものだということを伝えたかったからです。完全な人など一人もいないのです。

いわゆる人格者と呼ばれるような人は、性欲や○○欲などを沢山抑圧しているだけに違いありません。だから決して誰からも尊敬される人格者になどなろうと目指してはいけません。

私たち一人ひとりの心の中には、あらゆるモノが詰まっています。天使のような部分があれば、必ず悪魔の部分があり、努力家の部分があれば、怠け者の部分があるのです。

自分の都合のいいところばかりを集めて、理想の自分像に近づこうとするなら、それは心の全体性を理解していない無知な人の努力目標なのです。

あらゆるものを含む全体性こそが美しいのであって、気に入らない部分を一つひとつ否定していては、あなたに深みというものが起きてこないのです。

どんな自分の思いも、どんな感情であっても、全面的にそれらを丸ごと受け止めることです。そして、それを受け止められない思い、否定せずにはいられない気持ちに対しても、それを受け止めてあげるのです。

あなたを改善しようとするのを、即刻やめて下さい!その代わりに、新しい自分を一つ追加するだけです。それは、これまでのどんな自分であっても、ただ受け止めるという役割を新規に作ることですね。

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