「ただ見る」ことの大切さ

私たちが今日生きるために使うことになっている、全エネルギーのうちの80%くらいを「見る」ことに使っているそうです。それくらい、「見る」ということに重きが置かれているのですね。

そして、更にその「見る」ことの目的のうちの90%以上が、実は自己防衛のために費やされていると思って間違いありません。掛け算すれば、0.8×0.9=0.72(72%)ものエネルギーが防衛に使われているということです。

それはオーバーだよと思われるかもしれませんが、上の数字はともかくとしても、気づかぬうちに相当なエネルギーを自己防衛に使っているということは、癒しをしていけば理解できるはずです。

もしも、その防衛のエネルギーを何かやりたいことに対して振り当てることができたなら、一体どれだけのことが精力的にできるようになるか、それは想像を遥かに超えているはずです。

セッション中に、何度も私は、「見て下さい!」というのですが、それは防衛するために見るのではなくて、「ただ見る」ということを実践して欲しくて言っているのです。

「ただ見る」とは、思考を使わずに見るということを意味します。この「ただ見る」ということは、判断も評価もせずに見るということです。言葉を変えれば、受け止めるということにもなるのです。

自分の思考を「見る」、心の中の想いを「見る」、感情を「見る」など、すべては無思考でということが最重要なのです。私が見て下さいと言った場合は、常に無思考を指します。

そして、無思考で見るということは、観照するということにもなるのです。自分を「ただ見る」ことを実践することは、取りも直さず自分に正直でいるということにもなるのです。

防衛システムからやってくる思考は、100%が防衛のためのものですから、決してそれをキャッチしてはいけないのです。幼いころからの癖で、ついキャッチしてしまえば、自動的に防衛システムに取り込まれてしまいます。

やってくる思考も「ただ見る」ことを実践することで、その思考に取り合わない態度でいることができるのです。相手にされなければ、思考は衰退していくしかありません。

ネガティブな感情が上がってきたら、それも「ただ見る」のです。そうやって無防備に感情を見れば、自動的にその感情を味わい尽くすことになるのです。

「ただ見る」ということは、そこに純粋な意識を向けるということ。最後には、その「ただ見る」が無意識の奥深くへと入っていくことになり、そうなればこの世界からあらゆる闇が消えてしまうでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です