欲求をただ見る

人の心の中には沢山の欲求がありますね。そのどれについても、そう簡単には捨てることができないのが人間らしいところでもあるのです。

実際、何かの欲望を捨てようとして捨てられた人はいないはずです。万が一、そう決意して捨てられたとしても、その代わりになるものをまた見つけるはずなのです。

寝ようと思って寝れないのと同じように、捨てようと思っても捨てられるものではありません。そもそも、何かの欲求を捨てようとする、まさにその原動力が執着から来ているということに気づくことです。

あなたが何かに執着していない限り、捨てようなどと決意することはないからです。執着心があるからこそそれを捨てたいと思う気持ちになるのです。

その「捨てたい」という強い想い自体も、一つの執着であるわけです。寝入るために最も必要なことは、寝なければならない、寝たいという欲求を忘れることです。

それと同様に、何かへの執着を何とかしたいという気持ちを忘れることです。欲求そのものが悪いわけでもなんでもないのです。

それをそのままにしておくことです。そこにばかりに目をやればやるほど、それはあなたの中で力をつけて、あなたを負かしてしまうことになるのです。

あらゆる欲求はあって当然のこととして、ただあるがままを見ていればいいのです。殊更それを相手にせずにいることで、それはおのずと力を失っていくものです。

そうすれば、捨てるという意志の力ではなく、自然とそれは自ら落ちていくことになるのです。あなたがそれと闘わず、それを相手にしないでいられれば、それは自動的に消え去ることになるのです。

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