唯一存在しないもの

誰だって人間を数年でもやってりゃあ、いろんな問題を抱えるようになるってもんです。それでも何とかやり繰りしながら、人生を続けて行くわけなんですね。

そこで、はたと気づくか気づかないのかが大きな分かれ道になるんです。一人でやり繰りできなくなってきたなあと思った人の内の何割かが、例えばセラピーのようなものを受けてみようと思うのでしょうね。

あるいは、お寺に行って座禅でもしてみようと考えるかもしれません。どんな形であろうとも、抱えている問題を無視せずに、向き合おうとする姿勢があればいいのです。

例えば私の場合、10歳くらいのころから何かが変だと明示的に感じるようになっていたと思うのです。記憶では、疲れが取れなくなった感じだとか、やる気が自分にはない!という感覚がありましたね。

今で言えばある種の鬱症状が出だしていたんだろうと思うのです。そしてそれは、今だに続いているようです。やりたいことが一つも見つからないのがいい証拠ですね。

自分の問題とは一体どこから来るんだろうと考えることから、気づきは起こるのです。それが無ければ、この社会でどれほど成功して活躍しても、それは無駄なことだと言えちゃうのです。

そして最終的には、この「私」こそがあらゆる苦しみの原因だったと気づくことになるのです。そういう意味で、今回の人生は私にとってはとても幸運でした。

これ以上大切なことはないというところに意識が向くようになったからです。そして、「私」の根っこを捕まえようとして探求してきましたが、決して捕まえることはできないということにも気づいたのです。

それはきっと一生捕まえることはできないでしょう。どれほど、せっちんづめのようにして追い込んでも、すぐにスルリと身をかわすのですから。

そして本当は、身をかわすのではなく、それは存在しないんです!ちょうど影のようなものと同じ。在ると言えばあるし、ないと言えばない。

この存在の中で、唯一存在しないもの、それが「私」だったのですね。

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