内側では野生でいる

小学生の頃に「道徳」という授業があったのを何となく覚えているのですが、その授業で何を学習したのかは皆目覚えていません。

要するに、その時の先生には申し訳ないのですが、本当にどうでもいいことを教えられていたのだろうと思います。

そしていまだに、道徳とか倫理といったものには興味を持つことができません。なぜなら、自然界にはそんなものはないからです。

確かに、人間だけが自我を持つことで社会というものを作り、その中で共同生活を営んでいるので、一定のルールは必要なのです。

だから必要最低限度のルール、道徳や倫理というものを守るのは当然のことです。小学生でも分かることですね。

けれども、ここからが本題なのですが、その道徳や倫理を自分自身の中に持ち込んでしまったら、生きづらい人生になってしまうのです。

道徳、倫理は社会の中で他人との関わりの中でのみ意味を持つのであって、自分との関わりにそれを使ってはいけません。

あなたの内側では、常に自然で自由であり続けることです。そしてそのことを意識的に継続することです。

社会ではルールを守る一方で、内側では常に野生であり続けること。そのバランス感覚が大切なのだろうなと思うのです。

“内側では野生でいる” への2件の返信

  1. 本当にそうですね❢
    自己(自我と自己の区别もあいまいです)と本質の区别がつかず、自己否定で今世を終了しかねません。
    意識的に、本質に戻らなければ、すぐに染みついた方の社会的在り方に寄って行ってしまいます。
    意識的に!意識的に!

  2. 意識的であり続けることの難しさを知っているという事は、努力している証拠です。誰にとっても難しいのは同じです。めげずに続けていきましょう!

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