体験談その1(年齢退行)


29歳、女性。幼少時からアトピー性皮膚炎を持ち、97年から劇症アトピーになったそうです。病院通いも含めてさまざまな療法を試したということでしたが、それなりによくなる時期と悪化する時期を繰り返しているようです。現在、劇症はないものの、まだ症状には悩まされつづけています。


 まずアトピーの原因として指摘されたのはストレスでしたが、劇症になった原因と考えられるものは、現在除去されたといえます。しかし、幼少時からのアトピー症状は続いており、その大きな原因は母親との関係にあるとセラピストの方は考えておいでだったので、私が過去において母親と会話をしていて居心地が悪いと感じた時のことを見ることにしました。

「何が見える?」
「ええと、母が仕事をしていて、私は手伝っている。母は父が怒っていることに対して不平を言って、父の悪口を言っているの。私はママは悪くないよ、パパは子供だからって言うんだけど…。」
「どうした?」
「うーん、ママはパパと離婚したいって。でも子供たちがいるからできないって…。そんなこと言われてもな。」
「そんなことをあなたに言うの?子供がいるから離婚できないって?そんなのただの言い訳だよ。おかしいよね。」

 中学2年の私はいつも母親の愚痴を聞いては励ましていたことを鮮明に思い出していました。おかしいと言われて、どこかでそうかもしれないと思いつつ、自分はそうせざるを得なかったのだし、という言い訳を心の中でしていました。

 「私は美術の先生が好きなのね。まだ大学を出たばかりの先生で、非常勤講師なんだけど。私に絵を描いてみたらとか勧めてくれるの。帰りとかも電車がなかったりする時間まで委員会がある時には、同じ方向だから先生が車で乗せて行ってくれて嬉しいんだけど…。母は送ってきてくれた先生にワインとか色々あげて、私はそれがとても嫌。そんなことして欲しくないのに。」
「して欲しくない?」
「うん、だって…先生も気を遣うし、なんかやめて欲しい。」
「そうだよね、だってそれはあなたの恋愛なんだし、お母さんが何かしたりすることではないよね。干渉されているって感じる?」
「うん…。」
                     *  *  *

「お母さんは、あなたが何か成功したときに、偉いね、よく頑張ったねって誉めてくれる?」
「ううーん…口ではそう言ってくれることもあるけれど、本当はそう思っていないんだろうなって感じる。顔がつまらなそうだし。」
「ふぅん、そう。じゃあ、どうしてお母さんは心から褒めてくれないんだろうね。」
「分からない…。」
「そうかな、よーく考えてごらん。きっと分かるよ。」
「………。」

 私は答えられなかったというよりも、答えたくなかったのです。そして、セラピストがその答えを口にされるであろうことも瞬間的に分かっていました。

「お母さんは、あなたが幸せになるのを嬉しいと思っていないのではないかな?そう感じない?」
「どう…なんだろう。」
「お母さんは自分が幸せじゃないって思っているから、あなたが幸せになるのを見ていると辛いんだよね。だから、ついそれを妨害しようとしてしまうのではないかな?」
「そうかもしれない。」

私は思わず目を伏せるかのような動作をしましたが、実際には考え込む必要などありませんでした。セラピストがされた母親の行動の解釈には全く合点がいくと悟っていたからです。

                      *  *  *

「それじゃあね、その中学2年のあなたに、今のあなたが会いに行くことはできるかな?」
「はい。」
「行って、辛かったね、よくお母さんの愚痴を聞いたりして頑張ったね、って言ってあげて。」
「…びっくりして顔面蒼白になっています。」

 大人の自分が中学生の自分に会いに行ったので、中学生の自分が家の台所の椅子に座ったまま呆然としています。彼女は「私ってこんなになるの?」と、大人の自分を見て理解していますが、半分は混乱状態のようです。一方、会いに行った大人の私は、中学生のころの自分が今とはまったく違った表情で生活していることに気づき、当時の自分自身が切なくなりました。それは自分自身なのに、他人を見ているような感覚でした。言われたように言葉をかけると、過去の自分はますます目を見開いて、血の気が引いたようです。しかし、それは単にびっくりしたのではなく、初めて自分の置かれている状況や心情を理解されたことに対する驚きでもありました。

「どうなった?抱きしめてあげた?」
「はい。泣いています。」
「気が済むまで抱きしめてあげて。偉かったね、って。」

                     *  *  *

 このセッションだけで母親との対話が充分なされたわけではないし、何か問題がドラマティックに展開したわけでもありません。しかし、今現在の私が十数年前の自分が置かれていた状況を認識し、実際に当時の自分を見に行けたのは大きな収穫でした。おそらく、中学生だった私も、大人になった私を見ることができてよかったと思います。当時の私は、あの閉塞されたとんでもない田舎にいることが息苦しくて、そこから抜け出すのにはあの家を離れられる高校に行くことしかないのは分かってはいたのですが、あの家での生活という日々の時間が、まるで永遠のように感じられていたのです。

 でも、大人になった私を見て、きっと「ああ、私は今とは違う生活をしている大人になれるんだ」と感じることができたと思うのです。少なくとも、今の私の顔を見て、当時の私よりも不幸せには見えなかったはずなので、何らかの確信が持てたかもしれないですよね。私はきっとこの先歩いて行ける、というような励みに近いものかもしれませんが。
 
 現在の自分が過去の自分を癒しに行く以外の効果も、このセッションでは見ることができたようです。過去の自分に未来の可能性を示すことができたのは、当時抱いていたある種の絶望感を軽減させたはずです。時間の方向が逆を行ったようにも見えますが、結局過去も未来も現在も、同時進行しているのかもしれません。だからこそ、こうした癒しが可能だとも言えるのでしょう。