体験談その6(各種退行催眠)


 昨年結婚したばかりの20代半ばの女性。3月から始まって7月迄、毎月1回ずつ、計5回のセッションでした。


 ヒプノセラピー第1回は過去生退行でした。その時の主訴は「自分がパワーを所有できない、無力であると感じている」というもので、その原因を過去生から探り、解消したいと思って大澤さんの所へ来たのでした。催眠は初めての体験でしたが、実際にかけられると「ホントにこれでかかっているのかな?」と少々不安になりつつ見えるものを話していきました。後から教えて頂きましたが、私はかかりやすい方だったんですね。私はあまり鮮明に見える感じじゃなくて(時と場合によりますが)イメージが浮かんでくるという感じで、それが見えているという事なのだと認識する(或いは納得する)のにちょっと時間がかかったように思います。

 第1回の過去世退行では6つ(私が確認出来たものです)の過去生が出てきました。「何故パワーを所有できないのか。そういう現在に影響を与えている過去生」というテーマで出てきたものでしたが、まさか地球での転生以外のものまで出てくるとは思わなかったです。結局この回では原因となった過去生まで辿り着けませんでしたが、いくつもの転生が積み重なって影響を与えているということは認識できました。また、それぞれの人生に於いて何を学ぶべきだったか、どうしたらよかったのかということも理解できました。それは結局「今、私はどう生きるべきなのか(なーんて言うと堅い感じですけど)、その教訓をどう生かすのか」ってことに繋がってきます。

 この回で取り上げた私の問題はかなり根深いものだったのでしょうが、原因を見るよりそれらの過去生での失敗(失敗って言葉はあまり使いたくないですが…、何て言えばいいかなぁ、取り組もうとしなかったこと・やり残した課題というのがいいかもしれません。)を今生でいかに克服するか、ちゃんと自分で取り組んでいくことが大事なのだというのを教えてくれたのだと思います。

 何故最初に過去生退行だったのかというと、やっぱり幼児期退行が嫌だったからに他なりません。今は正直にそう思いますが、3月の時点では「私は小さい頃のことは大概のことは憶えているから意味はない」と考えていたのでした。しかし、大澤さんに「現在の問題は(過去生に原因を求めるより)現在で解決していった方がいい」と言われ2回目から幼児期退行のセッションを受けることにしました。

 大体小学校低学年前後の所に戻っていきましたが、あまり感情が出てこなかったんですよね。ただ、何やら大変そうで私のそばにいてくれた霊的存在は(私がこの親を選んで生まれることについて)「だから言ったじゃない(大変だよって)」と言っていたりして「本当にそんなこと言うのかなぁ」といろいろ考えました、中間生のこと。いくつかの年代に戻ってみましたが、私が子どもの自分と同化することはなくて、とにかく色々思考している子どもの私とその周りの状況を認識する、で終わりました。大澤さんが子どもの私の側に立って励まして下さったり抗議して下さったりしたんですが、子どもの私は「でもしょうがないの」で諦めてしまうのでした。

 最後に「森の中から子どもの自分が出てくる」という誘導瞑想(と言うのですか?)がありましたが、私には自分だと認識できませんでした。その姿は私とは似ても似つかないものだったからです(手足が奇妙に折れ曲がって顔はゆがんで何もかも自由に動かない、失礼かと思いますがまるで小児麻痺とか脳性麻痺の人みたいでした)。セッションが終わってそれでようやく認識したんです、自分が実は悲惨な目に遭ってて、大分傷付いているってことを。家で瞑想するときに子どもの自分を見て話しかけたりケアする事を実践しました。一朝一夕にまともな姿に戻りはしませんでしたが、少しずつ変化していきました。

 第3回は近い過去に飛んで見ようと言うことで、結婚して新居に来た直後のことを見てみました。そういえば私はヒプノセラピーというのは「忘れていることを催眠によって思い出して再体験する」ものだと思ってました。勿論それもあるけど、実際には潜在意識の記憶を見る(そこまで潜って再体験する)のですね。だから色んなケースがあると思いますが、私の場合は単なる外的事実からだんだん潜在意識のとらえていた現実へ移行する感じです。だからこのセッションで出てきた彼はある意味では現実の(つまり外的現実の)彼ではありません。私の潜在意識が捉えて再構築した彼なんです。これがヒプノセラピーのすごいところだと思うんですよ。だからこそ癒しが起こるんですね。

 今頃になって漸く気が付きました。この時私はもう彼に疑問を感じ、「何でこの人と結婚してしまったのだろう」と思い始めていて複雑な心境になっていました。彼に対する不満が溜まっていて、でも「養って貰っている身だから」と思うと何も言えなかったんです。彼が私に自分の内面を見せてくれないというのも無力感を感じさせる事でした。斯くしてこの回のセッションは、退行して出来事を再体験するよりも潜在意識の彼と話し合うという作業が中心になりました。私は自分自身の彼に対する気持ちも疑っていたのですが(これが大きかったんですね)、自分にも問いかけをし、自分がやはり彼のことを愛しているのだと確認することが出来ました。このことが一番印象的だったように思います。

 誰でも自分に確信が無くなったときが一番パワーがなくて辛いんじゃないかと思うんです。自分が自分の味方になれなかったらどんなに心細いか…。心細いどころか絶望的だとさえ考えます。だからどんなことがあっても自分は自分を応援していなきゃいけない。何かが起こったとき最後の砦になるんです。って大袈裟かも知れないけど、でも私はこちらに来たら本当に独りだからやっぱり大袈裟じゃありません。

 セッションの中で、彼に向かって言いたいことを言ってみると思わぬ反応が返ってきました。私は驚いたり気持ち悪かったり怖かったりしましたが、進めていくうちに彼がどうしてそのような反応をするのか分かってきました。普段の会話なら何を言っていいか分からず終わってしまうところを、大澤さんがタイミングよく私のモヤモヤを言葉にして下さったり訊いて下さったりするので、「ああそうだよ、それ言わなきゃ」と思ってそれを問いかけながら、ちゃんと進んで行ったのでした。

 彼も傷付いた人だと頭では分かっていたつもりだったけど、自分の気持ちも収まらず、彼に私を理解することを求めすぎていて辛かったのですが、このセッションの後、そういう気持ちが無くなっていました。大澤さんは「セッションの中で起こったことは現実に起こっているんだよ」とおっしゃって下さって、きっとそうなのだろうと思ってたけど、急激な変化は期待しませんでした。でも自宅に帰ってみたら何だか彼は変わっていて彼と深いレベルで話が出来るようになって、全くびっくりでした。大澤マジックですっ!

 第4回は、私が基本的にずーっと抱えている「自分が安全じゃないという感覚・いつも不安」という問題について見てみようということで、胎児期退行にチャレンジしてみました。前々回の幼児期退行では身体の中に全然入らず、外から自分を眺めているという感じだったので、「今度はなるべく入ってみてね」と言われてました。胎児期に戻ってみたのですが、既に身体の中に入ってなくて大人の私が見て深刻な状況が伺えました。それでも無理矢理入ってみましたが随分と居心地悪かったんですね。母に不快なことをされたりして、大澤さんは私をかばって色々言って下さるんですけど、胎児の私は「でも仕方がない。彼女も辛いのだから」と悟ったような事を言い張り、感情が殆ど出てこなかったのでした。

 ただ、私が母を実は恨んでいて、そのあまり「母はこんなひどいことをしたのだ」と出来事を自分でねつ造しているのではないかと疑問に思うところもありました。何でかというと「何か辛い体験があるはず」と先入観というかそういう予定で退行していて、場面を見て大澤さんに何か言わなきゃと焦ってしまったりしていたからなんです。こういうのって、どうなんでしょう?実は母は胎児期の頃は慈しんでいてくれたのではないか…、と思ったりしたんです。でも今はそういう愛情を認めたくない、何故ならっていうのは最後のセッションで出てきますね。兎に角、居心地が悪かったのも大人の意識の私が母と接触していることに非常に不快だったためではないかと。

 がしかし、いずれにせよ母との関係で自分が混乱しているには違いありません。母にどんなに嫌なことをされてもこれからそこで生きていくのだと考えても胎児の私は淡々としていました。でも流産を考えたときブリジット(彼女をずっとサポートしてくれている肉体のない存在だそうです)に悲痛な面もちで「それはダメなんだ」と抱きしめて貰ったときには何故か涙が出てきました。優しくされると涙が出るって変ですね。

 セッションが終わって、私は随分頑固な胎児だったなーと少々呆れるのでした。また、胎児の私が何の感情を挟まずただ母親の状況を理解しているというのは驚きでした。「理解はする、だけどそれだけ」なんです。自分の状況の理解で精一杯。赦すって何?愛するってどうゆーこと?という感じだったのかも知れません。幼児期も胎児期も、今思うとそういう(愛とか慈悲という)感覚が全く存在していなかった感じがするんです。全くってことは無いかも知れないけど。ブリジットに抱きしめられると涙が出てきたりしましたが退行してからそこまでの間に存在してない感覚だったように思うんです。思い出して、でも何だかよくわかんなくてまあいいや…、と。

 第5回はできるだけ感情移入したいということで、最近とても動揺させられた出来事に退行し、その感情を持ったまま子どもの頃迄戻るという方法に挑戦する予定でしたが、その最近の出来事のところだけで十分感情が出せたので、結局子ども時代に戻ることはしませんでした。結婚前から私は母が彼に馴れ馴れしくするのがうんざりするほど嫌で、最近の動揺させられた体験というのは、セッションの一週間程前に実家に帰ったときのことです。

 私は家族が嫌いですが、彼は人付き合いがいいというか「僕は僕だから」と自分なりに接するということを私に以前から言ってました。実家に帰るととても疎外感を感じさせられてたんです。おまけにその時は私が彼と話をすることさえ母に妨害された感じでした。催眠に入る前に大澤さんはよく聴いて下さって、救われました。で、催眠に入ってあの場面に戻り、私は母に言いたいことを言おうとしましたが、言葉は思いつくのだけど口からなかなか出てこなくて、おまけに出てきても感情が籠もってない。棒読み状態です。大人の私がこんななのだから、余程恐れていたんでしょうね。今思うと小さいときにどれだけ押さえつけられてきたか、どれだけの精神的肉体的暴力が振り翳されていたかぞっとします。

 でもそのうちにだんだん本当に抱えていた悔しさとか怒りが(5回のセッションで初めて!)出てきました。大人になってからも母親の自己満足の犠牲になり、また子どもの頃は特に欲求不満の捌け口になってしまっていたことに対して、本当は感じていたのに諦めて押さえ込んできたものでした。私は言ってやりたかったことをぶちまけました。ほとんど罵詈雑言のようだったかもしれません。母は自己保身に徹していました。「私のどこが悪いのよ!」と。大澤さんが所々助けて下さって、彼女の生まれた目的をハイヤーセルフに訊いてみたりしたけど、母を理解しようということは子どもの私が自分を押さえて既にやってきていたことでした。

 大人の私が催眠下で悟ったのは安易に赦しに入ってはいけないんじゃないかということだったんです。同情して(優しくしてもらったこともあったし…とか考えて)ここで赦してしまったら子どもの私は、どうなるのか?子どもの私の怒りはどこへ行ったらいいのか??あの子はまた置いてきぼりになってしまうじゃないか!!って。大澤さんがいて下さったから何とか安心して母親と対峙することができたし、「無理に赦す必要なんてない」とおっしゃって下さったのも、ものすごく勇気づけられたことだったんです。

 私は、ヒプノセラピーは感情を解放することと相手を赦すことが目標になっていると思っていたので、私にとってはとても長い道程のように感じていました。最終的にはそうなのかもしれません。だけど、大澤さんは「傷とかネガティヴな感情とか、あっていいんだよ。全部無くなったら上がりになってしまう」という考えの持ち主だから、私が母親を赦さないことにその場しのぎじゃなくて心から支持して下さったと思うんです。別に今後母と対決していくって言うのではありません。この関係に於いて、私が訳も分からず恐れさせられて呑まれてしまう状態から、子どもの私とネガティヴな感情に自覚的(それらを押さえ込んで気づかないようにしないでちゃんと認識している状態)でいるようになったのはすごい進歩でした。

 定期的に東京に来れたのが7月迄だったので、私のセッションは5回を以て終了としましたが、本来のヒプノセラピーはもっと多くのセッションをこなすのだと聞いてます。でも、私はひとまずこの5回で随分癒されることができましたし、感情の奥深さにも気づくことができて、とても満足してます。子どもの頃のこととなると母親との関係が中心になり、こちらはなかなか困難な感じでしたが、近い過去に退行したときは夫への関わり方を見直すことができ、関係が改善されました。

 たった5回だったのに私は随分長い旅をしたような気がするんですよ。セッションの時は時間が短く感じるし…。どうなっているんでしょうね。全く貴重な体験でした。長くなっちゃいましたが、本当にありがとうございました。勧めてくれた私の友達にも感謝しなきゃいけません。