醜いアヒルの子

子供の頃から、両親や周りの大人たちに言われることに、何となく違和感を感じていて、すんなりとそれを納得することができないでいると、子供は自分の方がおかしいのではないかと思うかもしれません。

なぜなら、その子供にとっては、それら大人たちの言葉が最初に与えられた言葉だからです。自分には、大人たちに負けないだけのどんな経験も持ってはいないからです。

つまり、自分の感性だけが基準となるために、その基準を疑ってしまうのは当然のことなのです。けれども、私は沢山のクライアントさんの幼いころを一緒に体験させていただいて分かったことがあるのです。

それは、子供はもって生まれた感性によって、体験をせずとも物事の道理というか、そういうものに気づいているのです。ピュアな心は、ある意味大人たちよりも物事を正直に見る眼を持っているのです。

子供は結局、自分の方が間違っている、自分がダメなのだと思い込んでしまうのです。そうなると、自分の感覚、感性に自信がなくなってしまうので、他人と違う自分を発見するたびに、自分を否定するようになるのです。

友達同士が何かを楽しそうに会話していても、そこに入っていけない自分はダメなんだ、その会話の内容を楽しむことができずにいる自分はダメなんだ。

こうして、自己否定は益々強くなり、そのために一層人を恐れるようにもなっていくのです。そうなると、今度は誰もが普通にできていることを、できない自分はダメなんだと…。こうして、悪循環になっていくのです。

鋭い感性を持って生まれた子供は、このような生き辛さを抱えてしまうことがよくあるのです。老子は80歳で生まれたという話しもあるように、まだ幼いにもかかわらず、エゴが作ったこの世界やこの社会に違和感を感じてしまうのです。

鋭敏な感覚を持って生まれることは、私に言わせれば本当に素晴らしいことです。そういうクライアントさんが苦しんできた人生を見ると、またひとり「醜いアヒルの子」を見つけたと思うのです。

人と自分が違うということを否定しないことです。そして、あなたが白鳥だったとしても、白鳥がアヒルよりも優れているということではなく、それはただ違いがあるということなのです。

アヒルにはアヒルの人生があり、白鳥には白鳥に適した人生がやってきます。人生の初めのころは、白鳥は孤独かもしれません。でも、それも白鳥として羽ばたくための準備なのです。

「醜いアヒルの子」を見つけたときの悦びには、何とも言えないものがありますね。

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