存在への信頼

存在は決して間違えることはありません。なぜなら、存在は広大無辺の意識だからです。どれほど賢い人であろうと、たとえ光明を得た人であろうと、広大無辺の海の一滴に過ぎないのですから。

もしも存在が、私たちにとって都合の悪いことを起こしたとしたら、私たちが望んでいないことを存在が起こしたとしたなら、それは私たちの望み自体が間違っていたということです。

3.11を悲劇的な凄惨なこととして捉えるのが普通の私たちの感性だとしても、存在はそれすらすべてのはるか上方からそれを起こしていると思えばいいのです。

それを無理やり承諾するのではなく、しぶしぶ仕方なく存在を認めると言うのではだめで、信頼をもって存在が起こすことのすべてを受け容れること。

そんな自分をイメージすることができるなら、それだけで相当に深い安堵がやって来るはずなのです。何であれ、間違いなく誰もが存在の一部なのですから。

そのことについては、完全に平等だということを忘れずにいることです。存在に対して完全に委ねるなんてできないという、そのことすら存在の手のひらの上で起きていること。

そしてあなたの本質は、存在そのものなのですから、もう沈黙するしかありません!

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