自分の内側には誰もいない

私たちは、自分の内側には誰もいないなどというたわ言には興味がありません。なぜなら、そもそも自分の人生は自分がいるということが前提だからです。

自分の内側には誰もいないということを見抜く以外には、決して満たされることはないと言われたところで、そんなことには興味がないのです。

自分がいて、その自分が満足するためにはどうしたらいいのかを一生懸命考えて生きているのですから。

あらゆる可能性を試して、それでも結局自分がいる限りは真の静寂は来なかったと気づくまでは挑戦し続けるのです。

それが何万年になろうとも、決して諦めようとはしないのです。けれども、一方では自分はいないということを気づくチャンスはそこらじゅうに転がっています。

それは当たり前だと思い込んでいることを、疑ってみてそれが本当なのかどうかを検証してみればいいのです。

たとえば、経験というのは自分がいるからするのだというのは単なる思い込みだと気づけばいいのです。経験とはただそれが起きているだけだからです。

経験したことが記憶されるのも、自分がいるからだというのも思い込みに過ぎません。この世界というのは、ただ現象が起きつつあるだけなのです。

そのすべてを私という個人が体験しているというのは、思考でしかないと気づけば、自分がいるという夢から目覚めることができるのです。

そのほかにも、瞬間的であればあなたが幼い子供のように無邪気に何かと戯れている間は、ほら、あなたの中に誰かを見出すことができないでしょう?

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