煩悩愚息の凡夫

私たち人間というのは、自分にとって都合の悪いことや見るのが怖いようなことからは、目を背けてしまう傾向がありますね。

自分という奴はあれがダメだし、これもダメ、といった否定的なものを見たくないし、何とかしてそれを誤魔化そうとしたり、改善しようと努めるのです。

けれども、昔から人間には百八つの煩悩があると言われるように、誰も彼も例外なく欲望にまみれているのです。

自分はそれほどではないはずと思っている人も多いかもしれませんが、みんなドングリの背比べなのです。

というよりも、備わっている煩悩に違いはないということ。どの煩悩(欲望)を強く出しているかという色合いが少しずつ違うだけです。

最近、「煩悩愚息(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)」という言葉にハマっています。煩悩まみれのどうしようもない奴というくらいの意味だと思うのですが、何だか気持ちよくないですか?

自分は割といい人だと思うよりも、煩悩愚息の凡夫と認めてしまった方が清々しい感じがするのは私だけでしょうか?

それを受容するのです。自我というのは、苦しみがないと生きていけないということも受容するのです。

そこが出発点になるととても気が楽です。出発点であると同時に、終着点でもあり、所詮は自ら煩悩をなくすなどということは不可能だと割り切ることです。

しっかり諦めがついたら、あら不思議。気のせいかな?何だか欲望が小さくなってきた感じがします。なくなりはしませんけど…。

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