人生は自作自演

 みなさんは、日頃自分の身に起こる様々な出来事について、それが自分というものの存在とは何ら関係のない単なる物理現象だとして捉えているでしょうか?確かに地球のどこかで起きた地震による被害や、イラクでの争いごとなどが、自分の存在あるいは自分の意識と関係があるなどとは思えないはずです。そんなに遠いところの事件でなくても、宝くじに当たって大喜びしたこととか、隣の住人の騒音に迷惑したことなど、直接的に自分が絡んだ事柄であっても、宝くじに当選する、隣人が騒音を立てたという事実はそれ自体、自分の存在とは無関係と思っているのが一般的でしょう。

 しかし、自分の意識と自分の身に起きる出来事とは関係があると思うことで、より生き易くなってより快適な人生を生きていけるとしたらどうでしょうか?本当により幸せになれるのなら、そういう考え方をしてもいいとは思いませんか?そもそも人間の心の中の自由度は無限なはずです。どんな突拍子もない考え方をしてもいいのです。要はできるだけ幸せな人生になればいいのですから。「信じる者こそ救われる」という言葉がありますが、今まで思っても見なかったようなことを突然信じなさいと言っているのではありません。信じるということは、信じないということと同じなのです。なぜならあることを信じるということは、それ以外のことを信じないと言っているのと同じだからです。

 信じることはそこに執着を作り出すことがあるかもしれません。そうではなく、新しい考え方を採用するのです。物事の捉え方や考え方は無限にあるはずです。どんな考え方を採用するかは100%本人の自由です。仮に今採用している考え方よりももっと自分が幸せになれそうな考え方が見つかったら、即その場で採用し直すのです。そこには執着はありません。尊敬するあの人が言ったことだから絶対信じるとか、高名なあの人のありがたい言葉に間違いはないから一生信じ通すということとは全く違います。採用するかどうかは完全に自分の意思によるものである必要があります。

 これからお話するのは、自分の意識と自分の身に起きる出来事とは関係があるとすること、もっと簡単に表現すると、自分の人生で起きることは自分が起こしているという考え方を採るということです。別の言い方をすると、人生という台本あるいは脚本を自分が書いて、その劇の中で自分は主役を演じている、つまり人生は自作自演という考え方を利用するのです。この考え方を採用するとより幸せになれると言われたところで、この考え方を採用したいと思うか思うわないかは人それぞれだと思います。ではなぜこの考え方を採用すると人は生き易くなるのかを説明したいと思います。

 仮に自分の身に何かの災難が起きたとします。それほど重大な事件でなくても、誰かにひどい言葉をかけられて、深く自分の心が傷ついたとします。通常は悲しくなって落ち込んだり、相手を憎んで攻撃したくなったりするかもしれません。そういう人間臭い自分の反応を否定する必要はありませんし、逆にその悲しみや怒りを思い切り味わえばいいのです。しかし一方でその感情の山が越えたあたりで、冷静にこの事態は自分が起こしていると考えてみるのです。つまり採用した新しい考え方を使ってみるのです。そうすると、起こしたのが自分であれば、起こした理由が自分の中にあるはずです。その理由とは一体何かを考えてみるのです。もしかしたら、その時の感情を味わうことで、もっと心の奥にあった過去の感情に気づくことが必要なのかもしれません。あるいは、自分も過去に同じような言葉で別の誰かを傷つけていたことを思い出す必要があったのかもしれません。いずれにしても、自分の中に理由を見出そうとすることは、結局深く自分を見つめる作業につながるのです。そして、そういう作業をしているうちに、相手を責める気持ちなどが急速になくなっていくのです。結局は、より幸せになるための一石二鳥の効果があることが分かります。

 以前自転車で自宅へ帰る途中に、クルマとぶつかって自転車の車輪がひどく湾曲してしまい、壊れた自転車をそこに残して歩いて帰ったことがありました。事故直後はクルマを運転していた人に多少とも腹が立って、不注意な運転を責める言葉などを言ったり、新しい自転車を保障してもらう話などをしたのですが、歩いて帰る途中にふと自作自演のことを思い出して、この事故を起こしたのは自分だと考えてみたのです。勿論客観的事実として自分に非がないことは明白でしたが、そう考えてみたのです。起こした理由を考えてみると、この考え方自体を採用できるのかどうかを試したかったのではないかと思えたのです。そう思えた瞬間に、もう相手に対するいやな思いや事故を起こしたことのモヤモヤ感がなくなっていました。自宅につくと、すぐに相手の人に電話をして自分で自転車を買うので、この事故のことはもう忘れて欲しいと伝えました。自分自身もこの瞬間にこの事故から完全に開放されたように感じたのです。

 この考え方を採用して生きていくと、何かを人のせいにしないという癖がついてきます。そのために人を責めることも少なくなってきます。これはとても楽な生き方につながるのです。事あるごとに常に何でも人のせいにして生きている人は、どことなくいつもイライラしていて穏やかな感じがしません。ここで注意していただきたいことは、自分が起こしていると思うからといって、自分を責めるということではありません。自分を悪者にするのではなく、何かの理由でそれを引き起こす必要があったのだと考えるのです。その理由を見出して、それをクリアすることは人生の大きな学びにつながるのです。

 逆に自分が他人を傷つけてしまった場合はどうでしょうか?この場合にはどのように自作自演の考え方を使えばいいのでしょうか?元々自分自身の行為そのものですから、新しい考え方など採用しなくてもいいようにも思えます。しかしここで、相手の身に起きたことは相手自身が起こしたと考えるのです。つまり私という脇役を使って、相手の人生における主役である相手が私によって傷つけられるという事態を引き起こしたと考えるのです。そしてそれを引き起こした理由は相手の心の中にあるのです。勿論人として相手に心から謝ることに変わりはないのですが、この考え方によって相手を傷つけたことへの自己嫌悪の気持ちが和らいでくるのです。そうやって自分を責める気持ちを減らしていくことができるのです。

 クライアントさんの中には、他人に迷惑をかけないということを信条として生きている方が意外に多いのです。勿論それはそれで迷惑を被る人が減るという意味では、悪い考え方ではないと言えるのですが、自分の犠牲を強いてまで迷惑をかけないようにするとなると、いろいろ困った問題が起こってきます。こんな場合でも、この自作自演の考え方を利用することによって、他人に迷惑をかけないということに必要以上にこだわる生き方から開放されるようになります。

 勿論最初からどんなことに対してもこの考え方を採用できるわけではないでしょう。泥棒に入られて大切な物を盗まれたときに、この現実を起こしているのは自分だと簡単には思えないはずです。しかし、小さな出来事から少しずつ始めていって癖をつけていくことで、次第に慣れてきます。そうすると、自分も他人も責めないで生きていける気持ちよさに気づいてくるはずです。そして、深く自分を見つめることもできるようになって、いやなことが起きたときだけでなく、嬉しいことが起きたときにも自分が起こしているという実感まで味わうことができるようになってきます。そうすると更にこの考え方が気に入ってくるでしょう。

 間違っても、自分の感情を抑えるためにこの考え方を採用するのだと思わないで下さい。湧き上がった感情はできるだけ味わうことです。しかし、この考え方を採用して生きていくことで、自然とマイナスの感情そのものの湧き上がる大きさや継続する時間が減ることにはなるはずです。なぜならマイナスの感情は、自分や相手を責める気持ちに比例して出てくるものだからです。

 この考え方を採用するということは、人は誰もが自分の現実を選んで起こしていると考えることですから、不公平さの感覚からも開放されます。そして自分と他人を比べることがいかに無意味なことであるかということにも気づくことにもなっていきます。さあ、今日から身近な出来事を題材にして、この新しい考え方を試してみて下さい。簡単にできないとあきらめないことです。誰でも最初からうまくはいかないものです。しばらく続けていくことで、あるとき気がつくとふと楽になっている自分に気がつくはずです。



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