人生は川のようなもの

 子どもの頃に学校で川の一生について学んだ覚えがあると思います。信濃川のように誰もが知っている有名で大きな川もあるし、地元の人しか知らないような比較的小さな川もあります。みなそれぞれに降った雨水などが山の地面に沁みて、それが少しずつ集まって斜面をまとまって流れるようになり、徐々に水の量を増して川幅が広がって、上流から下流へと流れていきます。このように川がどんなふうに始まってどのように終わっていくのかは大抵どの川でも一緒ですが、その形や長さなど、一つとして同じものはありません。人の一生もそれと同じなのではないかと思うのです。

 川は自然が創造したものですが、人の一生はどうなのでしょうか?人の人生は、人間として生まれる前の存在が、自分の人生という川を設計したのではないかと考えることができます。このことは、コラムの『人生は一人旅』の中でも以前お話しました。短い川もあれば、長い川もあります。川幅の狭いものもあれば広いもの、流れの緩やかな川もあれば急な川もあります。多くの人に知られている有名な川もあれば、人知れず一人でひっそりと流れている川もあります。それぞれが、みな川の個性であり、一つとして同じ川はありません。違いがあるからこそ、計画している学びに最適と思われる川、つまり人生を選んで生まれてくるとも言えるのです。

 一つの川の一生を見ても、渓流あり、岩だらけの激流あり、下流の穏やかな流れありと、とても変化に富んでいて同じ様相を繰り返すということがありません。子どもの頃に住んでいた家のすぐそばを川が流れていたのですが、暇に任せて川の流れをじっと見ていた記憶があります。見つめていると、一つの場所でさえ川の水の流れ方は刻々と変化していて、一度たりとも同じ流れ方をすることがないと気づいたことがあります。そして眺めていても一向に飽きないのです。人は、変化することが元々好きなのかもしれませんね。

 川の水が勢い良く流れる場所もあれば、渦を巻いてしまうようなところもあり、また流れが悪くなって水が澱んでしまっているような場所もあります。人の血液と同じように、流れが悪くなって変化しなくなるとそこから腐敗していくのです。川の水でも人の血液でも人生にしても、絶えず変化するということが大切なことなのかもしれません。怖れや不安の多い人は、ひとつのことに執着してしまい、変化することを拒絶するようになるものです。それは、自然の摂理とは対照的かもしれません。そういえば、宇宙そのものも絶えず膨張をして、その姿は変化し続けています。ひとつの星にしても、誕生してから刻々と変化してその一生を遂げるのです。

 話を元に戻して、人は生まれるときに、人生という川の一番上流付近にぽとりと投げ込まれるのです。投げ込まれてすぐは、何も分からずにただ周りの状況を興味を持って見ているだけです。川の流れもそれほど激しくなく、比較的のんびりと川に流されていくのです。ただ、川によっては上流とはいえ、安心してはいられないような場合もあって、そういったケースでは人は未熟な抵抗力のない心の中に大きな不安を蓄えてしまいます。

 比較的不安の少ない上流を生きてこられた人は、そのまま川の流れに逆らうこともなく悠々と川を下流へと下っていくことができます。しかし、不安を沢山溜めてしまった人は、どんな川の流れに対しても何かとビクビクして、その不安な気持ちを何とか払拭しようと必死になります。ある人は、流れていくことへの不安から川岸につかまってしまっていたり、濁流に飲み込まれて慌てふためいて無駄な力を使って必死に浮かび上がろうともがいたりするのです。人は身体の力を抜いてじっとしていれば、いずれは水の表面まで浮かんでくるということが分からなくなっているのです。

 水に流されながら自分の身に起こることをそのまま受け入れていれば、自然と効率よく下流へと流されていくことができることに気づかないでいる人が大勢います。自分が流されている川と、他人が流されている川を比較してひがんでみたり、この先どんな流れに遭遇するのかをいつも不安がってみたりするかもしれません。しかし、自分が流されている川は、自分自身の計画に最適なものを選んでやってきたのです。本当は怖れることなどないと気づく必要があるのです。

 私たちは毎日様々な選択をしつつ人生という川を流されていっています。選択肢は、今自分が流れている川の川幅いっぱいまで許されているのです。生まれてすぐの頃は、上流であるため川幅も狭くそれほど多くの選択肢はありませんでした。それが次第に下流に流れていくにしたがって、川幅が広くなって、選択肢も増えてくるのです。ただし、その川幅を越えて別の川に入ることはできません。その川の中が今回の学びの場なのです。これを宿命といってもいいのかもしれません。

 川の長さも生まれる前の計画で決められています。従って自らの選択によって川の途中でリタイアするということもできないはずです。それが宿命なのです。勿論、自らの力でリタイアしようとすることは可能ですが、どうあがいても結局はその先も人生という川は流れ続けるのです。つまり、何度自殺行為を繰り返しても助かってしまうということです。自殺や事故によって突然なくなってしまう人は、元々そこがその人の流されていた川の終点だったということです。そのような解釈をすれば、親しい人の理不尽に感じるような死を穏やかな気持ちで受け止めることもできるかもしれません。

 一方、自分の選択によって川のどの部分を流されていくかを決定することは自由にできるのです。これは運命と言い換えることができます。つまり、運命は自分で切り開いていくことができるのです。例えば、私の流されている川の幅の中には、私がこれから日本の首相になるという選択は含まれていないかもしれません。そうだとしても、それは今回の私の計画した学びには必要がなかったからです。それでも、長い間のサラリーマンの生活にピリオドを打って、今のような人生に変えるという選択肢はあったということです。

 川の最後は、別の大きな川に流れ込むか、大海原に流れ込むかのどちらかです。どちらにしても、最後にはすべての川は海へと繋がっているのです。つまり、一つ一つの川の個性が消えて、より大きな海の中へ解けて一体となっていくということです。そして、海水がまた蒸発して大気中に溶けていき、雨となって別の川を作ることになるのです。もしかしたら、人の人生も同じような循環を繰り返すと考えることができるかもしれません。

 人生の終わりを迎えた後、人は肉体を脱ぎ捨ててその意識はより大きな意識の中へと解けていき、しばらくして希望に沿った計画を立てて、またそこから新たな人生が始まると考えることもできます。どんな考え方を採用しようとあなたの自由です。でもどうせなら、自分がより生き易く感じる考え方を選びたいものですね。自分の人生という川を自分が計画したと思えば、嫌な出来事が起こってもそれほど腹も立ちません。人の人生と比べることも意味のないことと感じるようになります。そして、ここで述べてきた考え方を用いる事で一番嬉しいのは、いつもどんな時にも自分の人生は計画通り、順調だと思えることかもしれません。今あなたが流れている川をできるだけ満喫できるようにしていけるといいですね。



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