欠乏感
   
 私たちは常に何かが足りてないという感覚を持って生きています。それが、一番明確なのは、肉体を維持することに現れています。2,3日食事をしなければ相当な空腹感がやってくるだろうし、1分も息を止めれば激しい酸欠による苦しみを味わうことになります。このように肉体というのは常に外部から必要となるものを摂取することで存続するものですね。

 このような肉体のあらゆる欠乏感というのは、ものすごく強力であると同時にこの感覚はとてもリアルなものです。だから私たちは肉体が偽物だとは思わないし、肉体が自分なのだとも思ってしまうのです。しかし、この足りないという感覚の大元は肉体が作っているわけではなく、それとは全く違うところからやってくるのです。

 実は足りてないという欠乏感は、全体から分離してしまったという幻想から来ているものなのです。このことは、少し想像力をたくましくすることで容易に理解できることです。全体というのはすべてであり、欠けた部分がないことを指すのですから、そこに何かが足りないと感じることは不可能なはずです。逆に全体から分離した個別な存在は、どこまでいっても不完全なものに違いありません。

 不完全だからこそ、人間らしくていいじゃないかという方もいらっしゃるでしょう。しかし、それはこの分離からくる欠乏感がどれだけ私たちの人生を台無しにしているのかということを本当に理解することができたら、きっと意見が変わるはずです。人類が長年戦争などによって殺し合いをしてきたのもこの欠乏感が原因といってもいいのです。

 結局、その欠乏感を何とかして解決しようと躍起になっているのが私たちの人生ではないでしょうか?足りてないという感覚は欲しい、手に入れたいという要求に変化します。実際私たちがやっていることは、その欠乏感を他のあらゆるものに投影して、その足りないものを外部から手に入れることによって満たそうとばかりしているということです。

 愛が足りないと感じれば、愛が欲しい、愛して欲しいになるし、お金が足りないはお金をもっと欲しい、不健康であれば健康的な体が欲しい、一人ぼっちで寂しいという孤立感は、誰か友達が欲しい、好きな人にそばにいて欲しいになるのです。家が欲しい、クルマが欲しい、いい仕事が欲しい、名誉が欲しい、すべて手に入れることができたら、自分は満たされると思い込んでいるのです。

 あらゆる依存症もこの欠乏感が原因となって起こるものです。もっと食べたい、もっと痩せたいは摂食障害になるし、洋服、靴、バッグをもっと買いたいは買い物依存を作り出します。能力が足りない、努力が足りない、もっと頑張れるはずは、鬱症状の原因の一つに成りえるのです。いつも、もっともっと欲しいという際限のない欲求に苛まれてしまうのです。

足りないという感覚を、自分の外側から何かを手に入れることで満たしてもらおうとすると、そこに期待が発生し、その期待が裏切られると相手を攻撃したくなってしまうのです。これが怒りの原因であると言えます。いつも自分の期待通りに手に入れられるわけではないので、それは不平不満、文句などの形となって現れてきます。

 これを繰り返している限り、決して欠乏感を手放すことなどできないのです。しかし、一度でもエゴから離れて愛とつながった経験がある者は、その瞬間自分は何も不足してはいなかったんだと気づくはずです。あの欠乏感はエゴが作った幻想でしかなく、その足りてない気持ちに毎日翻弄されながら、仕方なく大切な人達を憎んだり、攻撃したりしながら生きていたんだと分かるのです。

 必要なものは全部揃っているし、必要なものなど元々何もなかったんだという感覚です。これがどれだけ自分の心を平安な状態にしてくれるか想像できるでしょうか?愛と繋がることにより、すべてとの一体感の中でこの欠乏感を開放した時、人は与えることだけが本当にできることであって、手に入れることには何の意味もないと分かるのです。

 自分の外側に自分の欠乏感を解決してくれるものは、何一つとしてないということにはっきりと気づくことがとても大切です。自分の内側にある分離したというエゴの幻想に惑わされないようにして、本当は分離などしていないということを思い出すこと以外に、完全に欠乏感から開放される道はないのです。



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