恋愛は心の窓

 比較的年齢の若いクライアントさんの中には、恋愛の問題の悩みを持って相談に来られる方が時々いらっしゃいます。また別の件で来られた方々の場合でも、様々なお話を聞いていく中でやはり恋愛にまつわる心の傷や深い苦しみのことが出てくることがあります。そういうときにいつも思うのは、その人が幼少期からずっと抱えてきた心の問題が、本人が経験してきた恋愛の問題に如実に表れてしまうということなのです。恋愛も対人関係の一つの形態であることに気づけば、当然と言えるかもしれませんが、恋愛の場合は一般的な対人関係とは違って、生の感情がぶつかり合うために、はっきりとその人の心のありようが表れてくるのです。

 恋愛で深く傷つくとき、それは相手のせいでしょうか?それとも自分の問題なのでしょうか?相手のことを好きという気持ちには変わりがないのに、どうしてうまくいく恋愛ができる人と、恋愛で失敗ばかりする人とがいるのでしょうか?恋愛のスタートは当然のことながら「好き」という気持ちから始まりますが、その「好き」という気持ちがくせものなのです。「好き」の中身を広げてよく見てみると、二つの要素から出来ているのです。その一つは「愛」であり、もう一つは「依存」なのです。そして、実は相手を「好き」と感じているその人自身の心の奥に隠された問題が沢山あればあるほど、「好き」の中にある「依存」の割合が増えてくるのです。「愛」と「依存」の割合が、1:9 といったら驚かれるでしょうか?今恋愛中の人がこれを読んでいたら、自分はそんなはずはない。この相手を愛しいと思う強い気持ちは、ほとんどが「愛」に違いないと主張したくなるかもしれません。

 なぜ、「好き」の正体が「愛」と「依存」なのかについては、後ほど少し詳しく説明しますが、少なくとも恋愛の初期においては、「好き」のほとんどが「依存」なのです。健康な心を持ったカップルはお付き合いしていく過程で、互いの愛を育んでいくことができるため、次第に「依存」よりも「愛」の割合が増えていくのです。しかし、心の奥に問題を抱えているカップルの場合には、付き合い始めたときと変わらず、ずっと「依存」の占める割合が高いままである場合が多いのです。その場合には、初めのうちは「好き」の感情で盛り上がっていますが、そのうち互いの熱が冷めてくると、徐々に「好き」の化けの皮が剥げてくるのです。そうして、「依存」ばかりで繋がっていたことに気づき、愕然とするのです。そうなったら、もうあっという間に二人の関係は崩壊してしまいます。依存関係の結末は、拒絶か執着だけが残ります。

 付き合い初めて早いうちに化けの皮が剥がれた場合には、別れれば済むことですが、結婚した後に気がつくと、少しやっかいなことになります。子どもでも産まれていると、更に問題が深刻化してしまいます。二人が別れるときに拒絶心が出てきた場合はいいですが、執着が強く出てしまった場合にはもっと問題がこじれてしまいます。場合によっては、別れた後にストーカーのような行動をとってしまうことになるかもしれません。

 今自分が相手に抱いている「好き」という気持ちは、果たして「愛」によるものなのか、それとも「依存」が多く占めているのか知りたいと思うのでしたら、次のような手がかりがありますので参考にして、自分がどのくらい該当するか試してみて下さい。

−毎日会っていつも一緒にいたい
−自分が愛するより相手に愛されたい
−相手に嫌われないかいつも不安になる
−相手といて何かと我慢してしまう
−相手の言動に傷ついたり嫉妬してしまう
−相手を独占して自分のものにしたい
−相手と会った後すごく疲れてしまう
−相手がいないと生きていけない
−会っていないと苦しくなる
−激しく燃えるような気持ちがある
−相手に魅了されている

 上記のような気持ちが強ければ強いほど、「好き」の中にある「依存」の割合が多くなると思って間違いありません。恋愛初期の頃は、誰しもこのような傾向が見受けられます。相手の魅力にはまって、他の事に頭が回らなくなったりして、つまり恋をしてる状態です。この状態での「好き」には、まだ「愛」の要素はほとんどないと言えます。何度も同じ時間を共有することを重ねていくたびに、相手の様々な面が見えてきます。そして、自分のすべての感覚を通して相手の存在というものが分かってきます。そうやって愛を育んでいくのです。

 しかし、半年たっても1年たっても、いつまでも上記のような気持ちが強いまま変わらないとすると、「依存」による恋愛をし続けていることになります。熱が冷めた後に残る依存の状態とは、シンプルに表現すると、こうして欲しい、ああしてあげたいという相手に対するコントロールや期待する気持ちと言うことができます。お互いがこの状態のままでは、どうしても心地よくありませんので関係が冷え切ってしまうか、破局がやってきます。相手に依存される苦しさに辟易したり、また別の恋愛(依存)相手を見つけたりすると、別れたくなります。別れを切り出された方の人が相手に執着していると、本当に辛い思いをすることになります。

 しかし、恋愛のスタートが確実に「依存」から始まるというわけでもありません。たとえば、職場の異性の同僚と何年も一緒に仕事をしてきて、お互いに相手のことをとてもよく分かってはいるけれど、恋愛の対象としては見てない状態でいたのに、それがあるとき、何かのきっかけで突然相手を愛しく感じて恋愛が始まるというケースもまれにはあるでしょう。このような場合には、依存のない状態のままで、気づかぬうちに心の奥で愛が育まれていっていたということなのでしょう。

 それでは「愛」を育む前の「好き」がなぜ概ね「依存」なのかを分かりやすい例をあげて説明します。たとえば、誰かに一目惚れすることを考えて見ます。一体相手の何が気に入ったのだろうと考えてみた時、好みの容姿だったり着ている服のセンス、声や話し方が気に入ったというように、ある程度は説明ができる場合もあるでしょう。しかし、逆に何となくとか、直感がひらめいたなどと言う場合もあるかもしれません。そんな時、実際心の中ではどんなことが起きているのでしょうか?実は、記憶が曖昧な幼少期の体験が影響しているのです。

 幼い子どもは親などの廻りの大人に依存して生きています。自分が誰かによって繰り返し心地よくしてもらったり、安心させてもらえると、その相手をなくてはならない存在、頼りになる存在として認識します。親である場合もあれば、おじさん、おばさん、兄弟や近所の人かもしれません。幼い頃の記憶というのは、大人の記憶のように論理的なものではなく、もっと断片的で感覚的な記憶なのです。そういう記憶は普通には思い出すことはありません。オムツを換えてもらって気持ちいい時の母親の笑顔だったり、安心して遊んでいる時にそばにいてくれた父親のあごの形だったり、その時の父の服の色や感触だったり、そういうものが同時に記憶されます。

 子どもの依存心が充分に満たされるまでそういった経験を繰り返すと、断片的な感覚記憶はごく普通の思い出せる記憶としてしまい直されます。しかし、期待に反して、あの心地よさ、あの安心感を何かの理由で味わえなくなってしまったりして、非常に不満足な感情が残ると、依存心とともに断片的な感覚記憶はそのまま心の底に残ってしまいます。そして、初めて相手を見た時に、相手の何らかの要素がその幼い頃の感覚記憶を強く想起させるものだと、一目惚れする可能性が高くなります。そして、その幼い頃に自分を心地よくさせてくれた、安心させてくれたという強い依存心が目の前にいる人に重なるのです。それが、「依存」なのです。つまり、心の中で勘違いをして、幼い頃と同じ期待を相手にしてしまうということです。

 それではなぜ、恋愛初期の「依存」がいつまでも続いて、「愛」を育てることができずに失敗してしまうのでしょうか?上の例で考えると、幼少期に満たされなかった思いが強く残ると、満たされなかったものを相手に満たしてもらおうとして依存するのです。これは一般に満たされることがないので、いつまでも続くことになってしまいます。

 もう一つ例をあげてみます。それは、生命の存続に関わるような経験をして、それが感覚記憶となっているような場合です。たとえば、幼い頃に海で溺れそうになっているところを知らないおじさんに助けられたとします。そうすると、上の例よりもはるかに強烈な感覚記憶が残ります。溺れそうになっている時の恐怖感や苦痛、助けてもらって安心した後に見たおじさんの腕の形や横顔など。そういったものが断片的な記憶となって、心の奥にしまわれます。そして、助けられた体験も含めて激しい恐怖の体験として、普通の記憶にはならずにいつまでも抑圧されて思い出すことができなくなります。出来事を思い出すことができたとしても、その時の感覚や感情は思い出せないのです。

 この感覚記憶を想起させられる人に出会うと、とても大きなインパクトを感じてしまうかもしれません。海で助けてくれた人の横顔にどことなく似ている人だったりすると、出会った瞬間にビビビッと感じたとか、全身に電流が走ったなどという表現をしたくなる人もいるのでしょう。目の前にいる人は命を救ってくれた存在だと勘違いするのですから、当然かもしれません。そして、この人と一緒にいれば、自分は命を救ってもらえるのだとして、とても強烈な「依存」が表れてきます。これらはみな、意識できない心の奥で自動的に行われます。もしかすると、とうとう運命の人に出会ったと思ってしまうかもしれません。そして、付き合い出した後に期待していたような人と違うではないかと気づいても、簡単には納得できないわけです。それが、強い「依存」をやめられないひとつの理由なのです。結局、期待を裏切られたことで、相手への強い拒絶が起きるか、いつまでも期待を捨てられずに執着することになっていくのです。

 そして、「愛」を育てていけない理由も過去の生命の存続に関係する記憶と密接に繋がっています。生命の存続に関する記憶と言っても、助けてもらったようないい経験よりも、危機的な経験の方が多いかもしれません。それは、たとえば、親に激しく怒られて家の外に出されたとか、自分の気持ちを分かってもらえず、絶えず否定され続けたなどです。こういう経験というのは、幼い子どもにとっては、とても危険な経験なのです。なぜなら、親に嫌われたり、見捨てられたと感じたら、子どもは生きてはいけない恐怖を感じてしまうからです。こういう経験が沢山あると、ネガティブな感覚記憶が沢山しまわれることになるのです。もしも、そういったいやな記憶のどれかを想起させるようなことを、ビビビッときたあの人がやってしまったらどうでしょう?きっと何とも言えない不安感や怖れ、そして、「愛」が育つどころではなく、強い拒絶感が出て来てしまうかもしれません。恋愛がうまくいかないのは、こういった心のメカニズムがあるからなのです。

 もしも、幼少期に親に見捨てられるかもしれない恐怖の体験を何度もしているような場合であると、その感覚記憶を想起させられるような体験、例えば好きな人に嫌われるとか、別れを宣告されるようなことには堪えがたい苦痛を感じるはずです。相手は毎日好きと言ってくれてるのに、なお不安になって何度も相手の気持ちを確かめようとするかもしれません。いつ捨てられてしまうのかと不安になるあまり、急に自分から別れて行ってしまったりもします。一度そういう苦い経験を恋愛でしてしまうと、次からは恋愛そのものにも恐怖を感じるようになってしまう場合もあるのです。あの人いいなと一方的に思っているうちはいいのですが、そのあこがれの人がひとたび自分の方に近づいてくると、理由もなく突然のように嫌いになってみたり、相手の気持ちが自分から遠のくような行動をしてみたりして、無意識のうちに恋愛が始まらないようにしてしまったりします。これではいつまでたっても、恋愛すらできなくなってしまいます。

 人生に何かしらの不自由さを感じているのでしたら、まず自分がどんな恋愛をしてきたかを思い出してみて下さい。そして、その恋愛が「依存」によるものだったと気づいたなら、その依存に関連するような幼少期の出来事を何度も何度も思い出して、味わってみることです。最初は思い出すことができなかった、幼少期の断片的な感覚記憶が少しずつ姿を表してきます。それをできるだけ詳細に思い出し、感情を味わって開放するのです。そうすることで、次第に過去の依存が薄れていき、無意識的に突然想起されるものが減って、安定した心の状態を作っていくことができるのです。そうなれば、勿論すばらしい恋愛もでき、満たされた人生を送ることもできるようになります。



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