信念について

 辞書で信念とか信条と言う言葉の意味を調べてみると、次のようになっています。
 −固く信じて疑わない心。行動の基礎となる態度。
 −神仏を固く信ずること。信仰。
生きていくうえでの礎のようなものと思えばいいのかもしれません。「信念を曲げない」とか、「信念の人」のようないい意味での使い方をすることが多いかもしれません。もっとしっかりとした信念を持て、などと叱られたりした経験がある人もいるかもしれませんね。改めて考えてみるまでもなく、信念・信条は生きていくうえでなくてはならない大切なものです。成人した人の人格は、その人の信念から形成されると言ってもいいかもしれません。

 ではそれほど大切な信念の中身について考えたとき、それが自分の人生を幸せにするために都合のいいものであったならいいですが、その逆に不幸にするような内容だったとしたらどうでしょうか?そんなことはあるはずがない、信念とはそもそも立派な人間になっていくためのものだと考えておられる人がいるかもしれません。しかし、元々の意味をもう一度確認してみると、単に「固く信じて疑わない事」であって、信じる内容そのものについては実は分からないのです。だとしたら、自分が持っている信念の中身をよく吟味してみることは決して無駄なことではないはずです。

 信念の中身を詳しく検証するためには、一体どのようにして信念は出来上がっていくのかも同時に考えてみる必要があります。以前に書いたコラムの「幸せになる三つの方法B」の中である程度の説明をしていますが、再度詳しく見ていくことにしましょう。その時に引用した意識の図をもう一度見て下さい。生まれたての赤ちゃんは、表面意識と潜在意識の部分はまだ存在していません。生きていくための本能や生まれ持った個性だけで生きているのです。個性といっても、大人になった我々の個性のように複雑なものではなく、もっと単純な、例えば刺激に対して敏感な傾向にあるとか、体質的な要素が強いのです。

 自分ひとりでは全く何もできない赤ちゃんは、お母さんという存在に100%依存して生きていきます。従って、目に見えるもの、触れるもの、口に入れられるものの中でも、お母さんという存在は赤ちゃんにとって非常に特別な興味の対象になるのは言うまでもありません。赤ちゃんは自分が発した信号に対して、お母さんがどのように反応してくれるかを見つめています。もし、信号にすばやく反応を返してくれて、自分と接することをお母さんが喜んでると感じると、自分は愛される存在であるということが赤ちゃんの中の信念の原型として組み込まれていきます。反対に、お母さんの反応が期待通りのものでなかった場合、そしてお母さんがいらいらしていたり精神的に不安定であると、それを自分のせいとして、自分は愛される存在ではないという信念が組み込まれていくのです。勿論このようにはっきりと白か黒かに別れるわけではありませんが、ここで組み込まれた基盤が後々のその人の心のあり方にとてつもなく大きな影響を与えることになるのです。

 まだ1歳2歳のうちは、組み込まれたものは親の変化によってはいくらでも書き換えが効くのですが、3歳過ぎるころから徐々に文字通り信念の基盤として確固としたものになっていきます。そしてこの頃からは、より複雑な、言ってみれば親自身が持っている信念そのものが子どもの信念として刷り込まれていくのです。例えば、人はこうあるべきであるとか、人と人を比較するものの見方、世間体の重視などです。特に、〜であるべき、〜でなければならない、のような枠組みを沢山植えつけられていきます。この時期、まだ自我ができてない子どもにとって、親から言われたことは大した抵抗もなくスルスルと入っていってしまいます。だからこそ幼児期における親の影響力というのは絶大なのです。

 このようにして、信念の中には、自分はこんな奴なんだという自分への評価に関連したものと、〜ねばならないなどの生き方に関する枠組みのようなものが組み入れられていくのです。そして、親から同じ信号を何度も何度も繰り返して与えられることで、信念は固定化されていくのです。更に、ここに感情が関与することによって、より強固な信念が作られていきます。それは例えば、親の考え方に背くと体罰を与えられるとか、親に気に入られるいい子でいなければ自分は捨てられてしまうかもしれないといった恐怖の感情があると、その恐怖を味わいたくないためにより頑丈な刷り込みが行われるのです。

 幼少期から更に成長して行く過程で、私たちは自我の確立とともに、親からもらった信念を土台にして、その上に自分自身で作った信念を重ねていくのです。それは主に社会や文化から、そして学校や職場などでの経験を通して作られていきます。自分はどんな信念を持っているだろうかと心の中を探ったとき、つまり自分はどんなものを固く信じて生きているのだろうかと自分自身に問うたときに、何か心に浮かんできたものがあったとしたら、今度はなぜそれを固く信じるのかを考えてみるのです。そして、それを信じている理由が分からない場合には、それは幼少期に親からもらった信念であるとして間違いありません。なぜなら自分で作った信念の場合には、自分の理屈や好みなどが必ず反映されているはずなので、その理由は自明なのです。親からもらった信念は、親の持っている理屈や好みなどが反映されているだけで、自分自身のものではないため、なぜそれを信じているかを考えてみても答えを出せないのです。

 そして我々はその答えを出せない方の信念にこそ固く縛り付けられていると言えるのです。信念・信条とは固く信じる心だけではなく、それに固く縛り付けられることをも意味するのです。なぜ自分はいつもこんな行動をしてしまうのだろう、どうしてこんなふうに考えてしまうのだろう、もっとこんなように思えたらずっと人生が楽になるはずなのにと、そう感じることがあるのなら、それは自分にとって都合の悪い信念に縛り付けられている状態であると言えます。このようにはっきりと自覚がなくても、人は知らず知らずのうちに自分を生きづらい方向へ導くような信念によって生きていることが多いのです。

 日頃クライアントさんにコラムで記述しているようなことをいろいろお話しさせていただいていると、「そんなふうに考えてもいいのですか?」とか、「そんなことは初めて聞きました。」と言われる方々がいらっしゃいます。クライアントさんの心に新しい考え方を提示することは、セラピストの重要な役目の一つなのですが、クライアントさんにとってはその考え方が自分の中にある長年慣れ親しんできた信念と相反するものだったりするために、初めは動揺されるのでしょう。親に対してしてきたようにセラピストの言葉を鵜呑みにしてしまうのではなく、新しい風を心の中でよく吟味することです。 

 自分の中にある信念・信条を開いて内部を細かく閲覧してみて下さい。それが難しければ、事あるごとに自分の言動をチェックして、それがどの信念を元にしているのか見つめてみることです。そしてもし、それが自分の人生にとって不適切なものと感じたら、それに代わる新しい考え方(セラピストや他の人から聞いたものであれ、自分で生み出したものであれ)を使って生きていくようにするのです。大人になった私たちはすぐに新しい考え方を信念として定着させることはできません。初めはとにかく採用して使ってみることです。それを繰り返し繰り返し毎日の生活の中で取り入れていくことで次第に新しい信念として組み込まれていきます。これは生きていく礎ともいえる信念を入れ替えていく作業ですから、とても勇気のいることですし、時間のかかる地道な作業になるでしょう。何度も途中でやっぱり無理だってあきらめて元の信念を使い出してしまうこともあるかもしれませんが、あきらめないことです。そうやって人は人生を変えていくことができるのです。

 新しい信念を使って生きていくことは時として大きな恐怖を味わうことになるかもしれません。しかし自分の人生をよりよいものにしていくために、その恐怖に立ち向かって進んでいくことが、人生の大きな学びの一つなのではないかと思います。「自分は駄目なやつ」、「親は絶対正しい特別な存在なのだ」、というのも親からもらった信念という魔法なのです。その魔法が解けたとき、人は自分の色で人生を塗り替えていけるようになるのです。人は本当は何事も怖れることなどない自由な存在なのですから、すべての魔法を解き放して、気持ちのいい人生に変えて生きましょう。



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