勝負へのこだわりについて

 少し前のことですが、サッカーW杯の試合をテレビで連日放送しているときがあって、そういう試合を見ていると、いかに熱狂的なサポーターが沢山いるのかが分かりますね。わざわざ開催国にまで出向いて行って、ユニフォームを着て頬に日の丸のマークをペイントして選手の一挙手一投足に叫び声をあげて応援している日本人の姿を見ると、本当にサッカーを楽しんでいるんだなと感じさせられます。

 勿論応援しているチームが勝ったら嬉しいし、負けたら悔しい残念な気持ちになるはずです。でも最終的にはそういったことも含めて、サッカーの試合を楽しむという気持ちが根底にあるはずです。しかし、あまりにも勝敗にばかりこだわってしまうと、応援チームの敗北に対して、いつまでも悔しがってしまったり、まるで自分が人生の大切な勝負で負けたかのような反応をしてしまう人たちもいるようです。

 負けた理由を審判の判定ミスだと感じたサポーターが暴動を起こしたりする事件もあるくらいです。これではサッカーを心から楽しむ状態とは言えなくなってしまいますね。サッカーだけではなく、応援しているプロ野球のチームが負けた次の日は、不快感が残っていて気持ちよく仕事ができないなどという話を聞いたこともあります。なぜそれほどまでに、勝敗という結果にこだわってしまう人がいるのでしょうか?

 こういう人たちの心の奥には、実は自分自身が勝負に勝ちたい、絶対に負けたくないという強い思いが隠されているのです。しかし勝負に勝つということを現実の世界で達成できないでいると、その辛さを受け取ることができないために、勝負に勝てない自分の能力に見切りをつけてしまって、自分以外の人や団体などを応援することで自分の勝ちたい気持ちを満足させようとするのです。

 また、自分自身が勝ちたいという思いを単刀直入に表現することをはばかっているような場合にも、同じような応援の仕方になるかもしれません。プロレスやその他の格闘技の試合に熱中する女性なども似たような心の状態かもしれません。自分の中に隠し持っている激しい怒りの感情を自分自身では表現することがはばかれるために、格闘技の選手にその気持ちを投影して満足しようとするのです。

 そして、もともと自分自身が勝負に負けるという悔しさを自分の中で消化することができないために、人や団体にその思いを投影するのですから、応援している人や団体が負けてしまうと、自分が負けたことと同じ気持ちになり、それが我慢ならないという状態となってしまうということです。なぜ、負ける悔しさを自分の心の中でしっかり受け取ることができないのでしょうか?

 記憶は定かではないのですが、自分が幼い頃、家族と一緒にトランプのゲームをしていて、負けてしまうとすごく不機嫌になってしまっていたことがあったらしいのです。そのために親はわざと負けてくれたりしていたらしいのですが、家族以外の大人の人が入ってゲームをする場合には、そうもいかなくなるわけで、そんな時は幼い自分は負けて怒ってしまったりしていたという話を聞いた事があります。

 きっとまだ未熟な心で生きていた自分は、負けるという悔しさを自分の中で解決して処理することができなかったために、怒りという感情を利用して何とか自分を守ろうとしていたのだろうと思うのです。成長して大人になっていくと、通常であれば負けるという不快感を受け止められるようになっていきます。しかし何らかの理由で勝つことに大きなこだわりを持っていると、言葉を変えると負けてはいられないという勝負への強い執着を持っていると、大人になっても負けることを容易に受け止められなくなってしまうのです。

 単なる負けず嫌いというのであれば、それを生きるパワーに変えて、ここ一番という時の頑張りの力として利用し、自己実現の道を進めて行くことに繋げることができるのです。つまり、負ける悔しさを十分に味わって、それをバネにして生きていくことができるのですが、負けることに脅迫的な怖れを内奥で感じていると、そこから逃れようとしてしまうということです。

 その怖れはどこから来るのでしょうか?それは、幼い頃に心の中心に作ってしまった、自分は駄目な奴なのだという理不尽な自己否定、自己嫌悪が原因なのです。その感覚が強すぎると、そのままでは生きていくことが辛いので、勝負に勝つことで駄目な自分を覆い隠そうとするのです。だからこそ、絶対に負けてはいけないのです。勝負に負けてしまったら、駄目な奴なんだという自己否定、自己嫌悪を痛烈に感じることになってしまうのです。

 だから勝負に勝つことで自分は大丈夫なんだと安心しようとするのです。このような心の状態では、身の回りに起きるどんなことでも勝負として捉えてしまうようになってきてしまいます。たとえば、ご夫婦でいらしたクライアントさんの家族セラピーをしていると、お二人が何か競い合っているように感じてしまうということも時々あります。お互い大切なパートナー同士なのですから、そこには勝負して争うなどということはないはずなのですが。

 また幼い子供とゲームをしていて、いい大人でも負けると悔しいのでその怒りを子供にぶつけてしまうような親がいたり、いつも大人しい人が勝負事となると目つきや人格までも変わってしまうような人たちもいます。学生の頃に、自分が勝つまで絶対にマージャンを止めさせないような友人もいました。とにかく勝たなければ安心して眠れないのです。こうなってしまっては、毎日の生活がとても味気ない深みのないものになってしまいます。

 最近、巷では勝ち組とか負け組みなどという言葉が使われているようですが、何とつまらない表現なのだろうと思ってしまいます。人はみな自分が計画した学びの道を歩んでいるだけですから、人生に勝ちも負けも元々あるわけではないのです。 自分が日本人だからといって、オリンピックで日本人選手ばかりを応援しなくてもいいと思いますし、NHKの紅白歌合戦で紅組を応援している男の子がいてもいいと思うのです(実際自分はそうでしたが…)。

 幼い頃にある人に人生は勝負なのだと言われた記憶がありますが、それはずいぶんと味気ない生き方なんじゃないかなと当時思った記憶があります。勝つことに強くこだわってしまうのは、不安な心を安心に変えたいだけなのだと気づくことです。そして、勝負に勝つことはその瞬間の喜びであって、それ自体が人生の幸せとなるわけではないのです。きっとこれは、スポーツ選手その他の実際に勝負の世界で生きている人達にも言えることなのではないでしょうか?



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