役に立ちたい症候群

 人が自分のために何かをしてくれるのはとても嬉しいことですね。大好きな食べ物を覚えていてくれて、遊びにきてくれるときにそれをお土産として持ってきてくれたり、外出先で困っているときに見ず知らずの人に親切に面倒を見てもらったりして、感謝することがあります。また逆に、プレゼントをあげた相手がとても喜んでくれたり、困っている人に手を差し延べてあげて感謝されると、嬉しい気持ちになります。人は悪意がない限り、人の喜ぶ顔をみたいし、感謝するのも感謝されるのも気持ちのいいものなのです。

 しかし誰もが持っているこのような感覚があまりに強くなってしまうと、いいことばかりではなく、反対にいろいろな弊害が出てきてしまうのです。一つには、自分の「役に立ちたい」という気持ちを優先してしまうあまりに、人の気持ちに気づきにくくなってしまうということがあります。これはある意味、人の心配ばかりしている人が、相手の気持ちに気づかなくなってしまうのととてもよく似た状態であると言えます。実際、「役に立ちたい」人は心配性を兼ね備えている場合が多いかもしれません。それは、自分が相手のことを心配することで、あれこれとやってあげたいことが増えて、その結果「役に立ちたい」気持ちを満足させることができるからかもしれません。勿論本人にそういった自覚があるわけではありません。

 相手の気持ちが分かりにくくなるということは、すべての人間関係を破壊することに繋がっていくことをしっかりと認識しなければなりません。自分の心の余裕がなくなっている時に、人の心が見えなくなってしまうのですが、その時点でそのことに気がつくことはできません。身体の調子がとても悪いとき、何かの感情が高ぶっているとき、危険を感じるような状態のとき、大きな心配事を抱えているとき、このような場合には大抵自分のことしか見えなくなってしまいます。「役に立ちたい」が強い場合も同じように、そのことにどうしても心が動かされて気になってしまい、冷静に相手の気持ちを分かろうとすることが難しくなってしまいます。結果として、良かれと思ってしていることでも、相手にとっては迷惑であったり、自分の生活を犠牲にしていることにも気づかなくなったりしてしまいます。

 いわゆる芸能レポーターと呼ばれる人たちに代表されるような、他人に対していらぬおせっかいをしたり、野次馬的な興味を感じる人たちも「役に立ちたい」人たちと共通する部分があると思うのです。それは自分というものをよく見つめることをしないで、周囲の事柄にばかり気をとられて生活しているというところです。誰かが結婚しようが、離婚しようが、家族仲が悪くなっても、自分の人生と本質的には何ら関係ないはずなのに、そんなことばかりに気持ちを奪われがちになってしまっているということです。近頃ではあまりいなくなったかもしれませんが、頼まれもしないのに人の見合い相手をせっせと探してきては、結婚話を勧めて喜ぶ人も同類かもしれません。

 同様にして、「役に立ちたい」気持ちが強い人も、自分のために生きる、自分の人生に責任を持つという本来の自分自身に立ち戻って見つめることをするかわりに、役立つことを優先して考えているわけです。その根底にあるものは、やはり自分を分かって欲しい、自分を認めて欲しい、そういった子どもの頃の根本的な親に対する満たされない情動なのです。芸能レポーターという仕事そのものに関して云々しているわけではないですが、そういった仕事が成立するということは多くの人たちがそれを望んでいるからであることに違いないのです。だとすると、平均的な多くの人たちが自分を見つめない人生を送っているということになるのかもしれません。

 「役に立ちたい症候群」の人が最も気になるのがボランティア活動かもしれません。それは営利目的ではないため、活動すべてが誰かの役に立つということに終始し、自分への物理的な利得がないことがはっきりしているからです。だからといって、ボランティア活動に従事している人がみんな、「役に立ちたい症候群」の人であるということでは決してありませんし、ボランティア活動の是非を言いたいわけでもありません。大切なことは、自分がただ喜びを得るためにやりたいのか、認めてもらいたいからやるのか、よく自分の心を見つめてみることです。

 間違わないでいただきたいのですが、マザー・テレサのような人を「役に立ちたい症候群」と同列に見てしまわないで欲しいということです。『私は最も貧しい人々のそばにいたい』と、自ら修道院の外に飛び出して、わが身を投げ出してある意味命懸けで自分自身の信じる道を貫き通した彼女は、きっとしっかりと自分というものを見つめていた人だったのだろうと思うのです。だからこそ、自分の魂が本当に喜ぶことを見出してそれを命懸けで生涯貫き通すことができたのだと思います。きっと、彼女は一度も自分に犠牲を強いることはなかったはずです。逆にやりたいことを力いっぱいやり通したのだろうと思います。

 一方、「役に立ちたい症候群」の人たちは、自己犠牲を払ってでも人の役に立とうとしてしまいます。それがとても美しいもののように錯覚してしまうのかもしれません。一見命懸けのようにみえても、それは奥にとても傲慢な気持ち、あるいは怖れが隠されているのです。自分の存在を大切に思えないままの心で、他人のためにいくら奉仕的に活動していようと、それは愛を分かっていない生き方としかいえないのです。その状態ではいくら人から感謝され、認められようと、心の奥で満ち足りるということはないのではないかと思います。

 もし本当に人の役に立ちたいと思うなら、一番いいのは自分をできるだけ幸せにしてあげることです。その手段は人によって違うのでしょう。マザー・テレサのような生涯を選択することもあるかもしれないし、ごく平凡な生活を送る生涯を選ぶかもしれません。形は何でもいいのです。『エネルギーは友を呼ぶ』にも書きましたが、満たされた心で気持ちよく過ごせるようになればなるほど、その人のエネルギーが上がってきます。そのエネルギーが周りの人にとてもいい影響を与えることになるのです。これほど人の役に立つことはないかもしれません。パワーの強い人であれば、その気持ちのいいエネルギーを世界中の人に伝播させることだって可能かもしれません。



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