罪悪感は魔法の布

 誰でも一度や二度必ず経験していることではないかと思うのですが、たとえば相手と言い争いをしていたとして、相手に怒りをぶつけているときに、実は自分の方が悪かったということに気づかされたとします。すると、それまで感じていた怒りの感情は急激に影をひそめてしまい、相手に対して謝る人もいれば、突然笑顔になったり言い訳をしたりしてその場を取り繕う人もいるかもしれません。つまり、自分が悪いのだと思うことは、怒りの感情を抑えてしまう効果があるということです。勿論いつもそうなるとは限りません。自分が悪いのだと気づいても、やり場のない怒りをもてあましてしまい、相手に怒りをぶつけ続ける人もいるかもしれません。

 幼い子どもの場合にも同じことが言えます。お前はいけない事をした悪い子だと親に怒られたりした場合、子どもは本心ではなんで怒られなければいけないのか分からないといった理不尽さを感じて怒り返したい衝動が一瞬あったとしても、ああ自分は悪い子なんだと思ってしまうことでその怒りを封じ込めて感じなくしてしまうのです。親もその効果を無意識的に知っているために、子どもを叱ったときに反発されることを怖れて、子どもを悪者扱いして責めてしまうのです。そうやってまんまと、子どもの素直な反抗心を押さえ込んでしまうことになるのです。

 親はこういった心のメカニズムを無意識に何度も利用して、子どもが自分に従うようにしてしまうことがあるのです。親子の間だけではなく、一般的に人はこのことをどこかで感づいているのか、日頃の人間関係の中でも利用されることが多いのです。例えば、夫婦の間で、妻が夫に向かって、あなたが約束を守らなかったのだから、あの欲しかったバッグを買ってよね、とねだったりするのです。妻は夫が自分が悪かったと自覚しているのを知って、自己表現ができなくなることを利用して高額なバッグを買わせようとするのです。

 これは問題の多い宗教などにおいても利用されることがあるかもしれません。信者を思いのままに操って、組織を大きくしようとしたり、暴利を貪ろうとするために、お前たちは罪深いと洗脳するのです。信者は自分の根っこは悪なのだと思わされることで、自然と沸き起こる様々な感情や素直な自己表現を抑圧してしまうので、教祖様にどんな理不尽なことを命令されてもそれに従ってしまうようになってしまうのです。罪悪感と怖れを使って信者をがんじがらめにしようとするのは、よくない宗教の常套手段なのです。

 自分が悪いと思う気持ちは、このように何も怒りを押さえ込むだけではなく、様々なマイナスの感情をも押さえ込む力を持っています。たとえば幼児は、大切な父母が夫婦喧嘩をしているのを見てその小さい心を痛めるのですが、その時にその苦痛を何とか乗り切ろうとして、きっと悪いのは自分なのだと考えようとするのです。自分が悪いのでお父さんとお母さんが喧嘩してしまうのだと理不尽な自己否定をしてしまうのです。もう少し大きくなると、コラム『懲罰的な考え方』にも書いたように、身に降りかかるいやな毎日を自分の前世のせいにしたりするのです。そうやって、少しでもマイナスの感情を和らげようとするのです。

 大好きな母親に対して、本当は激しい怒りの感情を持っているなどということを自覚してしまったら、とても生きてはいけないと感じてしまう健気な子どももいるのです。そういう子どもは、やはり無意識的に自分を悪者に仕立て上げることによって、その怒りにまったく気づかないで生きていくことができるのです。そういう子どもは大人になっても、異常とも思えるくらいに病んだ心を持った母親をかばおうとします。そんな時に、セッション中に本当の気持ちに気づいてもらいたくて、それはひどいお母さんですねなどと言ってしまったりすると、クライアントさんから激しい敵意のようなものを向けられてしまったりもするのです。

 あるクライアントさんのセッションのときに、あなたは少しも悪くないということを繰り返し伝えていたところ、徐々にそうかも知れないと本人も思えるようになったその時に、急に胸の痛みを訴えたのです。これは、今まで自己嫌悪によってしっかりと抑圧されていた感情が、自分は悪くないかもと気づいたことで蓋が緩んで出てきそうになっている状態だといえます。それでも感情を出すことには抵抗があるので、力づくでその感情を押さえ込もうとして胸のあたりで両者の力が拮抗してせめぎあっているために胸の痛みが起きたのです。そしてもう一度、やはり自分が悪かったのだからと思いなおしてしまった瞬間に、胸の痛みはみるみるうちになくなっていったということがありました。

  こうして考えてみると、ものすごく自己嫌悪や罪悪感が強い人というのは、その心の奥に沢山のマイナスの感情を隠し持っているということが言えるのです。普段から自分を悪者にしているために、その時々に胸にあがってこようとした本当の感情を無意識のうちに押しやってしまうからです。何度もいやな経験をしても、自分が悪いのだからとして全てを我慢して感情を抑圧してしまうのです。ですから、自己嫌悪、自己否定、罪悪感などが強い人は、セラピスト泣かせとも言えるのです。催眠療法などで感情を味わって開放してもらおうとしても、頑として本当の感情をブロックしてしまう傾向が強くなるからです。

 強力な罪悪感などによって、それこそ膨大な量のマイナスの感情、特に怒りを押さえ込んで生きてきてしまうと、時としてとても危険な状態になることがあります。それは、あまりにも大きくなってしまった怒りのパワーというのは、そのターゲットが誰でもよくなってしまうからです。そして怒りを蓄積できる心の許容量を越えたときに爆発して、相手かまわずその怒りを向けてしまうことになるのです。そうなってしまうと、もはや本人の理性では全くコントロールできない状態になってしまうために、大きな事件を引き起こしてしまうということも起きてしまうかもしれません。

 そこまでひどい状態ではないにしても、沢山溜め込んでしまった怒りの感情は自分以外の人のためには使うことができたりするのです。例えば、とても理不尽なめに遇わされた人のことを思っただけで、いきなり大きな怒りが込み上げてきてどうしようもなくなるといったことが起きることがあります。普段、自分が悪いのだという魔法の布で封印されていた怒りが、このときとばかりに抑制がとれて噴出してしまうためです。異常なほどの正義感などは、こうした心の状態が背景にあると考えることもできるかもしれません。人のためには怒れるのに、自分のこととなると何にも感じないと思うことがあるのでしたら、強い自己嫌悪がある証拠かもしれません。

 自己嫌悪や罪悪感などによって本当の感情が抑圧されてしまうと、喜怒哀楽の乏しい人になってしまいます。つまり、怒りなどのマイナスの感情だけではなく、人生の喜びや幸福感などを感じることもできなくなって、表情の乏しい無味乾燥な人生を送ることになってしまうのです。そんな人生から開放されて少しでも満ち足りた気持ちで毎日を過ごして行きたいものですね。癒しを進めていくことで、自然と自己嫌悪や罪悪感などが薄れていきます。何度も何度も繰り返し、自分を肯定して認められるように進めていくからです。そのため、癒しの途中では必ず今まで溜め込んできた怒りなどの感情と出会うことになります。

 そして、心の中に沈殿してしまっていた様々な感情を少しずつ表面化して、味わって溶かしていくことで本来の人間らしい喜怒哀楽が戻ってくるのです。今日からでも自分の心の中に巣食っている自己嫌悪や罪悪感をまずしっかりと認識することです。そして、その感覚はすべて幻想なんだということを自分自身に教えてあげることです。自分は駄目なやつなのだという感覚は、幼い頃に親や自分自身によって植えつけられてしまった間違った教育の結果でしかないのですから。



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