心の色眼鏡

 私が通ったヒプノセラピーのスクールでは、講義の内容もさることながら、生徒同士がお互いに相手をとっかえひっかえして、何度も繰り返して催眠療法の練習をするというスタイルをとっていました。いわゆる習うより慣れろということなのでしょう。次第に慣れてくるに従って、生徒同士だけではなく、一般の方々をクライアントさんとして実際に催眠療法をするようにもなっていきました。

 毎回10名程度の方々が無料体験に応募して下さり、まだ一人前ではない生徒の催眠療法を受けていただくのです。気心の知れた生徒を相手に練習するときには、概ね誰が相手でもそれほど緊張することもなかったのですが、初対面の人を相手にするとなるとその人がどんな人なのか分からないためにかなり緊張もしました。どの人と組まされるかは、講師の方のその時のインスピレーションで決められるのです。

 相手の方の第一印象が何となく自分の好みだったり、気が合いそうだなと感じたときはいいのですが、どうも相性が悪そうだったり、正直好みじゃないなと感じるようなときは余計に緊張してしまうのです。ところが、幼児期退行のセッションに入っていくにつれて、そういった相手の人に対する自分の先入観のようなものが知らぬ間に全く消えてしまっていることに気づいたのです。

 これはとても不思議な体験でした。年齢や性別は勿論のこと、すべての先入観、自分の選り好みなどが一切消滅してしまうばかりか、幼い年齢に戻っているその人のことがとても愛しく感じられてしまうのです。無邪気な幼い子供の言葉や感情一つひとつにできるだけ寄り添うようにしているだけなのに、相手のすべてを受け入れられるような気持ちになるのです。

 エゴの消えた相手の心を受け止めている間に、自分の心の中にあったエゴも影をひそめてしまい、代わりに愛が心の中を満たしてくれた瞬間だったのかもしれません。エゴが作り出していた心の色眼鏡をはずすことができた瞬間だったとも言えるかもしれません。それは本当に気持ちのいい体験だったのです。

 セッションが終わった直後、自分は一体今まで人のどこを見て生きてきたのだろうと本当に愕然となりました。ああ、自分はなんていやな色眼鏡で物事や人のことを評価してきたんだろう、今思うとエゴが対立を維持するための色眼鏡、もう二度とかけたくないと思いました。しかし残念なことに、エゴの色眼鏡がはずれたその気持ちよさは基本的にはセッションの間だけでした。

 ほんの少しの余韻は残るものの、数時間もたてばいつもの自分に戻ってしまうのです。それでもまたセッションに入っていけば、あの気持ちよさを体験できるということは分かっていました。自分がセラピストになろうと思った本当の理由は、この気持ちよさを毎日味わうことができる職業とはなんてすばらしいんだろうと思ったからではないかと考えています。

 その後ヒーリングのスクールにも通い、ヒプノのセッションだけではなくヒーリングセッションでも同じような体験ができることを知りました。現在のヒーリングのスタイルは、クライアントさんにヒーリング用ベッドに横になっていただき、身体に手を添えた状態で自分は目をつぶり、基本的には無言で行うため、よりエゴの色眼鏡がはずれやすいのだと思います。

 カウンセリングのセッションでもできるだけその色眼鏡をはずした状態になりたいし、できれば毎日の生活のすべての時間、エゴの色眼鏡のない素直な裸眼であるがままを見れるようになりたいとつくづく思います。それは結局、エゴを手放して愛の心で生きるということなのです。それがどんなに気持ちのいいものか、少しでも垣間見ることができた人には分かるのでしょう。



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