年齢とは身体に対してだけのもの

私の毎日というのは、そのほとんどが自宅とスポーツクラブとオフィスの間を行ったり来たりのイヤになるほどのワンパターンなのです。

滅多に外出することはありません。先日本当に久しぶりにちょっと遠方まで出張セッションに行きましたが、それが今年電車に乗った最初で最後になるかもしれません。

そんな私の退屈過ぎる毎日ですが、今日は珍しく奥さんの実家に来ています。慣れない事をしたせいなのか、加齢による身体の衰えを見事に感じてしまいました。

自宅から200km強の殆んどの距離が高速道路を走るのですが、たまたま集中工事と重なったこともあって、疲労困憊してしまいました。

クルマの運転は大好きなはずだったのが、もういけません。首は凝るは、腰はだるくなるはで、もう運転は向いてないとまで感じたほどでした。

さらに普段は決してやらない柿の実をもぐ荒技を、足場の悪い場所で奮闘したせいで、今全身の疲労感と戦っています。

おまけに力技を少々。太い木をノコギリで切ったり、廊下に手すりを新しくつけるため、木ネジを受け付けないくらい硬い柱と電動ドライバー片手に戦ったり。

人間、身体の老いには勝てないのですね。残念ですが、これが現実です。けれども、心は老いるということがありません。

老いるどころか、以前よりもより人生を気軽に楽しむことさえ出来るようになるのですから、確かに生きることは面倒くさいことですが、歳を重ねる意味はあるかもしれません。

さらに、何歳になろうとも、自分の本質である全体性に意識を向けていれば、それが不変であることにも気づいていられます。

みなさんに知られている私の年齢は、ただ身体にとってのものであり、心の年齢は恥ずかしながら青年のままであって、また本質は年齢など超越した実在なのですから、何という幸運なのでしょう!

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