怒りを捻じ曲げて憎しみにする

子供の頃に、自分の気持ちや感情をストレートに表現できるなら、それはとても幸せなことですね。多くの場合は、自分の感情に何等かの制限を設けて、抑圧してしまいます。

たとえば、怒りを感じたとしても、親が非常に怖ければ、その怒りを直接親へ向けることはできないはずです。そうなると、子供はその怒りを処理するうまい方法を見つけるようになります。

その一つが、怒りを憎しみに変えるという方法です。怒りそのままを抑圧することもできますが、それだと何かのきっかけですぐにその怒りは表面化しようとするはずです。

そうならないために、怒りを一旦思考によって歪曲させるのです。そうして憎しみというエネルギーに変えてしまうのです。憎しみにしてしまえば、それは思考によって冷静さを取り戻すことができるからです。

つまり、怒りは火のように燃えたぎるエネルギーですが、憎しみはある程度の冷静さを兼ね備えたものになるのです。だから、本人は憎しみを感じても取り乱したりせずに済むのです。

憎しみとは思考によって捻じ曲げられた怒りなのです。それは、未来に成就させる復讐心へと繋がっていくことになるのです。

だから、怒りの言葉が、「殺すぞ!」という直接的で今をターゲットにするのに対して、憎しみからの言葉は、「今にみてろよ!」という未来志向の言い方となるのです。

今はまだ無力な自分だけれど、未来のどこかで徹底的に仕返ししてやるから覚えておけ!というわけです。こうなると、非常に困った事態になってしまいます。

なぜなら、怒りという純粋な感情を味わって解放しようと思っても、その表面には憎しみという思考が覆ってしまっているために、それが邪魔をするのです。

怒りを解放できなければ、本人の人生は闘いだらけの壮絶なものになっていくはずです。こうした場合、ただ怒りだけを味わおうとするよりも、周辺の感情である悲しみとか恐怖などをしっかり味わうようにすることが必要かもしれません。

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