私たちの心の中にある愛は、大切な家族や恋人に向かうだけではなくて、家族同然に飼われているペットや大切に手入れをされた植物などへも向いますね。
そんな時、そうした動物や植物はある意味人間扱いされているということです。人を尊重するのと同じように動物や植物に接するということは、そういうことなのです。
場合によっては、クルマとか家といった「モノ」であっても、それを丁寧に扱い、心を込めて見つめるのなら、それらの「モノ」は、人間へと昇格させられたことになるのです。
愛のターゲットになったものは、すべてが人間と同じレベルになるということです。けれども、この逆も実はあるのです。
私たちが、もしも相手を利用しようとするなら、そこにはどんな愛も尊重もなくなってしまうため、人を「モノ」へと貶めたことになってしまうのです。
あまり例がよくないのですが、幼い女の子が大人の男性から性的な目で見られたときに、その子なりに何だかいやな感覚を持つはずなのです。
それは、その子にとっては自分が「モノ」を見る眼で見られたということを感じるからなのでしょう。普段は、人間として扱われているので、そのときには違和感を覚えたということです。
恋人同士であろうが、夫婦であろうが、自分の都合のいいように相手を使おうとするなら、相手を「モノ」へと貶めたことになるのです。
私たち人間は、決して自分を「モノ」扱いされたくないという尊厳を持っています。誰もが愛される、つまり人間扱いされることを望んでいるのです。
表面上は愛のように見えるとしても、相手への執着心や依存心がそこに含まれるなら、それこそが相手を「モノ」へと貶めることになることを、充分に理解しておくことですね。
あなたが相手を「モノ」扱いすれば、相手もきっとあなたを「モノ」へと貶めることになるはずです。