幼い頃から、痛みって何なのだろうなあ?ということをよく考えていた記憶があります。子供の頃は、身体が弱くて年中医者に通っていたくらい、いろいろな身体の痛みに苦しめられていたからなのでしょうね。
特にお腹が痛いということが頻繁にあって、それは当時から大人になった最近に至るまでずっと続いているのです。大げさに聞こえるでしょうけれど、その痛みが自分にとっては、何か命に係わるような気がするのです。
その逆に、昔から精神的に苦しめられたという経験がほとんどないため、よけいに肉体的な苦痛というものに意識が向くようになったのだと思うのです。
だからなのか、自分という存在をもっと高めようとか、よりよい人格の持ち主になりたいとか、より崇高な人物に、よりすばらしい自分へと改善する等々、そのような欲求はほとんどないのです。
代わりに、ひたすら身体の苦痛から逃れるためにはどうしたらいいのだろうという方向にばかり、関心が向いてしまったのでしょうね。
この仕事を始めて間もないころ、ある超能力者さんのところに縁があって行っていたことがあったのですが、彼は人の内面に何が書いてあるかを読めたのです。びっくりでしょう?
彼が私の内面を読んで言うには、「『肉体的痛みとは一体何なのだろう?』って書いてありますよ!」と教えてくれたのでした。別に毎日そんなことを考えていたわけでもないのに、そのことをズバリ指摘されたので驚きました。
確かに心の奥には、常にそのような疑問があるという自覚があったからです。そして、最近この身体の痛みに関して、どうやら解決する方法があるということが分かったのです。
それが、身体との同化を落とすということだったのですね。充分に意識的になっていくことで、身体との隙間がはっきりするようになるのです。
そうすると、身体の苦痛を感じる代わりに、それを観察する立場になれるということです。昨日のブログにも書きましたが、私たちのやっている身体との同化は本当にしつこいものです。
それでも、望みは捨てられません。一にも二にも、できるだけ日頃から意識を自分に向け続けることによって、少しずつでも身体を客観視できるようになれればと思うのです。
痛みを感じているのはそれを受け取る自分であり、それを見ている自分ではないということに体験として気づけるようになるといいなと思うのです。