過去誰かの弟子だった記憶?

人のマインドの一番奥底には、無数の誰かの人生の記憶が、いにしえの記憶が隠されています。それを私たちは自分の過去世と思ったりするのですが…。

その記憶は、何かのきっかけによって表面に上って来ることもあるでしょうね。場合によっては、夢の形となって顕われることもあるかもしれません。

私の中にもそれを感じることがたまにあります。私はこの人生においては、どんな宗教とも無関係の人生を生きてきました。どちらかといえば、科学よりの考え方がベースにあるのです。

ところが不思議なことに、導師(マスター)と弟子の関係について思いを巡らすと、突然ものすごく熱いものが込み上げてくることがあって、自分でもびっくりするのです。

導師と弟子などというものは、この人生では全く縁のないものであり、少し前まで全くそんなものに興味も持ってはいませんでした。

けれども、この数年の間に、どうもそれに関係するような記憶らしきものが奥深くに眠っているのではと感じるようになったのです。どこかで知っているのです。

導師を完全に信頼している自分をイメージし、それを見つめていると、何とも言えない深い愛の中でくつろいでいる感覚がやってきます。

それと同時に、またそれを体験したいという強い衝動のようなものがやってきます。この人生では、自分が誰かの弟子になるということはなさそうですが…。

一体どんな導師の弟子だったのだろうと思いをめぐらしていると、とても暖かな気持ちになれます。きっとその時の記憶のおかげで、今内面への探究が起きているのだろうなと思うのです。

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