個人である自分を解き放つ

普段私たちは、身体と同化することによって、自分の身体へとエネルギーを凝縮しているのです。それこそが、自分という個人はここにいるという感覚を作っているのです。

そのエネルギーの凝縮は、何か辛いことがあったり、苦悩を感じていたり、怒りや悲しみなどのネガティブな感情を持つときにより強力になるのです。

つまり、深刻になって人生を悲観すればするほど、凝縮が強まることによって、より個人としての自分が明確になるということです。

逆に、ゆったりとくつろいで、気持ちにゆとりがあって、穏やかであるなら、そして悦びや歓喜の中でそれを謳歌しているときには、エネルギーの凝縮は弱まることになるのです。

つまり、個人としての自分の境界は曖昧なものになるということです。こうしたことは自動的に起きることですが、それを逆手にとって、実験をしてみるのです。

たとえば、特別に何かがあったということがなくても、意識的に自分という個人であることを維持するのをやめてみるのです。

個人にまとまろうとすることを自らやめてみるのです。ちなみに、過去の体験を思い出そうとすると、個人へと戻されるし、未来のことを思い描いても、個人が復活してしまいます。

代わりに、今この瞬間にじっとしていられれば、個人に収縮せずに済むはずです。それはまるで中心のない、広がった雲のようなイメージかもしれません。

その感覚に慣れて来ると、どれだけ普段の生活そのものが、自分は個人だということを色濃く強調することになってしまうかが分かってきます。

エネルギーの収縮に気づいたら、すかさず意識を今に戻して、個人としてのスペースが虚空に変わるようにそれとなく意識するのです。

興味があったら是非検証してみて下さい。自分という個人が希薄になることで、幸不幸を超えた何かに気づかせてもらえるかもしれません。

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