これを瞑想と呼ぶ必要もない

最近ほんの少しかもしれませんが、瞑想のやり方や心構えなどに変化が出てきたようなのです。表現が難しいのですが、敢えて言えば心構えがなくなったような…。

今思い返すと、かなり気負いのようなものがあったのだなあと思うのです。言うのも気恥ずかしいのですが、目的意識がバリバリだったということ。

それがちょっとずつだけど、減って来て敢えて目的があるとすれば、その目的が落ちてしまうように淡々と、それとなくその状態を維持するというのか。

ほんの少しの目的のようなものも逃さずに、それを脇へ置いてしまう。今までにもいろいろな瞑想への取り組みにおける微妙な変化は経験してきたのですが、今回のは大きいかもしれません。

目を閉じる必要が一段となくなってきてしまいました。というか、目を閉じていても開いていても、どちらでも構わないということ。

あらゆるルール的なものが排除され、できるだけ目的を持たずに、それとなくただここに在るという状態。それを瞑想と呼ぶ必要もないかもしれませんね。

私は座禅というものを知らないのですが、伏し目がちで行うということだけ聞いたことがあるのですが、瞑想というよりもそっちに近いのかも。

それとなく心がけているのは、「個人が瞑想をする」というイメージから、なるべく離れるようにするということ。全体がただそれを起こしている、それを深く深く浸透させる感じ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。