私たち人間の思考というものは、ずっと昔から変わらずにこの宇宙を説明しようとし続けてきたのです。思考の性分として、分かっていたい!というのがあるからですね。
そして不思議なことに、確かに思考による理解というのは可能なのです。ニュートンが発見した万有引力の法則だって、アインシュタインが見出した相対性理論にしても、なるほどという法則があるわけです。
そして今の所は非科学的なことであっても、ある程度の法則のようなものがあることは薄々分かっています。たとえば、思考が現実を作るとか、与えたものだけが与え返される法則とか…。
占いが当たるというのだって、考えてみれば不思議なことです。それでも、実は神の立場からすると、そんなことは知ったことではないのです。
思考がどれほど努力して、この宇宙を解明できたとしても、宇宙の統一理論を人類がいずれ発見できたとしても、依然として神にとっては無に等しいのです。
そしてそのことは、あなたが深い瞑想状態にあるときにも、まったく同じことが言えるのです。思考による理解は、ただそこに独自に物語を作り出しているに過ぎないからです。
私たちが事実だと信じて疑わないことも、本当は思考の中で物語として位置付けられているに過ぎません。地球が太陽の周りを回っているというのは、思考の中での事実です。
思考が落ちたとき、太陽も地球も存在しなくなるのです。ただ在ることへの気づきが在るのみ。きっとそれは神と同じ気づきなのだろうと。