禅からの便り

禅の中に、「何もせず、静かに坐っていると、春が来て、草はひとりでに生える」 というのがあります。この言葉を繰り返しハートで感じていると、何ともくつろいだ気分になれます。

上記の言葉は、あらゆる探究という探究を落としたときに、真理は向うからやってきてくれるということを伝えてくれています。

禅にはどんな教義もありません。この世界で唯一、仏陀のメッセージを見事に花咲かせた宗教を超えた真の宗教と言ってもいいでしょうね。

禅やその大元である仏教は、神を持ち出すこともしません。それを早とちりして、神を否定する宗教だと思ってる人もいるかもしれません。

禅は無神論者とは全く異なります。実は神について何かを言えば、人は神を勝手に信じてしまい、それがエゴの餌になることを避ける目的で、仏陀は神に触れなかったのです。

自分の存在の外側に神がいると信じて、それにしがみついてしまうと、真理は遠ざかってしまいます。禅や仏教は、そのために神を持ち出さずにいるのです。

人とどうかかわるべきかといった道徳や倫理を教えるものからは、何としても遠ざかることです。それがいわゆる宗教であれ何であれ…。

人格を向上させるとか、徳を積むなどの一見良さげに思えることも、それがどれほどエゴの好むものかに気づけば、巻き込まれずに済むはずです。

外側への探究をやめて、内側にいる探究者を探究すること。そして、いずれはその探究も消えたとき、春が来て、草はひとりでに生えるのですね。

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