この社会において、誰からも認められる存在となるためには、自分のアイデンティティをしっかりと確立することが大切なことだと思われています。
確かにそうですね。例えばアメリカに行って、何か質問されたときに、「I have no idea.」って答えたら、ちょっとダメな人というレッテルを貼られてしまいそうです。
かつてはどうだったか分かりませんが、今では日本においても、同じようにして個人としての確固とした意見や他人と差別化できるような何かを持っていた方がいいとされるのです。
私自身、会社員だった頃は自分のアイデンティティは「これこれだ!」というものを持っていたように思います。それが、会社を辞めて今の仕事をするようになってから、変わってしまいました。
はっきりとした記憶もあるのですが、ある時明確に自分はこれまで生きてきた大澤富士夫とは断絶してしまったと感じた瞬間があったのです。
何か特別なことがあったわけではないのでしょうし、記憶がなくなったわけでもないのに…。自分の歴史にどんな価値も見出さなくなってしまったということなのかもしれません。
自分のアイデンティティについて考えることも全くなくなってしまいました。そんなものはどうでもいいという感覚。アイデンティティは、自分そのものではありません。
それを持っていると、維持しようとして何等かの重荷を感じてしまうはずです。大切だと思っていた自分のアイデンティティをドブに捨ててしまえば、人生は気楽で軽快なものへと変わるのです。
自分は誰でもないと分かればそれだけ、より自分の個性が際立ってくるのですから面白いものですね。