意識的であるというチャレンジ

自分にとって、最も難しいと同時にチャレンジし甲斐のあることは、普段から思考に費やしてきたエネルギーを、意識的であることに向けるということです。

不安や孤独感から自分を守って、是が非でも安心しようとすると、必ずと言っていいほど思考過多に陥ることになるのです。そうなると、思考を止めることはできなくなってしまいます。

常に堂々巡りの思考に乗っ取られて、それはまるで思考の奴隷状態のようです。分かってはいるけれど、そこから抜け出せずにいる人を沢山見てきました。

私自身も時として、そのような状態になってしまう経験を幾度となくしています。だからこそ、瞑想が大事であるとしてお勧めしてきたのです。

ただし、その気になって瞑想をして、その時には思考を緩めることができるようになったとしても、意識も同時に希薄になっていくのでは、元も子もありません。

本当に大切なことは、思考を止めることではなく、意識的であるということだからです。思考が止まればいいのでしたら、赤ちゃんや動物に戻ればいいだけです。

けれども、それでは一番大切な意識を失ってしまうことになってしまいます。誰だって幼い無邪気な頃は、それほど思考過多ではなかったはず。

子供の無邪気さは何とも愛しいものですが、ただそれだけであって、そこには明確な意識がないのです。自らの意識に気づいていること。

そうなれば、瞑想をして思考を止めようとせずとも、自然に思考をツールとして見れるようになるのです。意識的であるというチャレンジが、自分のライフワークとなって久しいのですが、なかなか思うような結果が出ていないのが本音です(汗)。

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