私たちのマインドというのは、真に新しいものをとにかく拒絶したがるのです。見知らぬものに対して、必ず批判的になってしまうのです。
なぜなら、元々思考というのは決して新しいものを取り扱うことができないからです。思考は、過去すでに知っているものによって、判断し、場合によっては批判するのです。
マインドの中にある、それまでの基準、常識、正しさ、こういったものを総動員して、その枠から逸脱しているものに対しては否定するのです。マインドを信じてしまっているからです。
このことに気づくことができなければ、その人は何十年生きようと新たな気づきを得ることはできないでしょうね。古いルールに縛られているのですから。
そこにいれば、自分は安心、安全でいられると信じているからこそ、それをやめることができなくなるのです。マインドの思考をフル回転して自己防衛に嵌るとは、そういうことです。
人が気づくためには、自分の中にはなかった新たなものに対して、開いている必要があるのです。それはとても勇気のいることです。
なぜなら、それまでの自分の考え方や正しさを否定されてしまうかもしれないのですから。けれども、その恐怖に負けて安心を求めるなら、何世に渡って人生を生きても、すべてが無駄になってしまうでしょう。
自分のワールドにはない何かを見聞きした時に、それに興味を持つことが先決なのです。そして、それをすぐに一刀両断してしまう代わりに、そこにはどんな気づきの種があるのかを見ようとすること。
人間が潜在的に求めている真理とは、元来あなたのマインドにとって決して納得できるものではないのです。それは、思考を超えたところにあるので、矛盾に満ちた非論理だと捉えられてしまうからです。