子供のころに、自分は何で生まれたのだろう?とか、そもそも何で生きているんだろう?自分が生まれた本当の理由は何なのだろうか?などと考えたことがない人はいないかもしれません。
日常の中で、ふと我に返ったときにそのような疑問が湧いてきても決して不思議ではありません。けれども、よくその状況を見てみる必要はあるのです。
つまり、物凄く何かに熱中していたり、全一に物事に取り組んでいたり、大喜びしていたりといった時には、そんなことを考えることはまずないからです。
何かしら辛いことが起きていたり、寂しかったり悲しかったり、自分は惨めだと感じたり、そうした自分にとって不都合なことがあるときに限って、人生への疑問が湧いてくるのです。
セッションにいらっしゃるクライアントさんの中にも、今世の人生の目的、自分は何をするためにここにやってきたのかを知りたいという人が現れるのです。
何かしなければならない目的があるとするなら、それはあなたのマインドの中の思考が作り上げたものだということの理解を深める必要があります。
目的や意味、意義や価値など、そういった一連の観念は思考が作るだけで、実在するものではないからです。そんなものに踊らされて、それを信じて一生を終えるのはあまりにも無知だと言わざるを得ないのです。
敢えて言うなら、あなたはただここに在るということだけが、唯一の目的です。それ以外の目的を求めようとするなら、それは個人だという思いの副作用としての欠乏感の成せるワザなのです。
こうしてこのままいるなら、自分には何かが足りない。もっとどうにかして満ち足りた感覚を持ちたいと望むからこそ、今のままでは何かが間違っていると思い込むのです。
そうして、何とかして人の役に立ちたい、世界に貢献できる人物になりたい、人に認められる成果を出したいとして、奮闘努力の連続で、疲れ果てるのです。
そうではなく、あなたの今この瞬間には、どんな間違いもありません。唯一気づく必要があるのは、本当のあなたはあなたが信じているようなあなたではないということ。
思考が落ちたときに、どんな目的もそれに付随するどんなするべきこともないと分かるはず。その時に、ようやく肩の重荷がとれ、力が緩んでただ在ることにくつろぐことができるのです。