常識は恐れから作られる

 

私たちは、知らず知らずのうちに、無数の常識という海の中で、それこそモミクシャになって泳ぎながら生きているようなものです。

常識的な振る舞いをしなければならない、常識的な考え方、常識的な生き方、常識的な格好、何から何までが常識的か、非常識なのかを判断されるのです。

そして大多数の人たちから常識的なことが分かる人だと認められることで、安心することができるのです。常識的であれば無難だし、およそ間違いはないとされるからです。

常識とは社会が作ったものであり、それは社会というものが反逆者を嫌うため、社会にとって都合の悪い人物を排除するための枠組みだと考えることができるのです。

社会に従う人を作るために、人間の中にある恐れを使って、常識と呼ばれる社会規範から逸脱したら、社会からつまはじきにされると思わせるのです。

私たちは誰もが独りぼっちになりたくないという恐怖や不安を持っているために、仕方なく常識に従うように慣らされてしまったのです。

それは自分が自分らしく生きるということとは相反することなので、必ず何らかの仕返しがマインドの奥深くからやってくることになるでしょうね。

常識という概念がなければ、非常識というものも消えていきます。常識非常識を超越して、そのどちらでもない生き方ができればいいのです。

社会にいて、社会には染まらない生き方とはそういうことなのだろうと思います。それはとても勇気のいることだけれど、十全に生きるためには、必要なことなのかもしれませんね。

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