癒しのいらない自己

心理セラピストを生業としている私が言うのもおかしな話しですが、いわゆる心理療法というのは、あくまでも人生という物語の中においての癒しの作業なのです。

こうした一般的な癒しというのは、そのすべてがエゴによるエゴのための癒しのことを言うのです。エゴがエゴを癒そうというのですから、本当は眉唾ものなのです。

エゴとは、自分という個人がいるという間違った信念を土台として作られた幻想の自己のことなのですから、それをどう癒そうと本質的にはどうにもならないのです。

苦しい夢が、少しは楽な夢に変化するくらいはあるのですが、エゴそのものが影のような実体のないものなので、それを癒すということも幻想でしかないのです。

エゴは狡猾なので、癒し始めると本人にとって急に楽になったような気分にさせることもできるし、実際暗いばかりの人生だったものに光が射してくる感じはあるでしょう。

けれども、それもある程度までに限られてしまうのです。エゴの頑張りを癒しに向き直しただけで、その生き方というのは変わらないのですから。

究極の癒しとは、人生という物語から抜け出すことなのです。物語の中には、喜び、悲しみ、希望、絶望など、あらゆるものがごったがえしていて、通常はそれらに飲み込まれてしまっているのです。

それらをただ見守ること、思考を落として静寂の中でただ在ること。そうしてエゴは実在しないと見抜くことができるなら、その時こそ癒しがいらない真の自己と出会うのですね。

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