真実はシェアできない

かつてニュートンが万有引力の法則を発見しましたが、人類はそれをみんなで共有してうまく利用してきました。人類が初めて月へ着陸したのだって、その法則を使って天体の軌道を計算することができたからです。

アインシュタインの相対性理論にしても、素人にはとても難しくてチンプンカンプンではありますが、他の物理学者その他の人たちによって利用され、人類に貢献しているのです。

文明の発展や科学の進歩は、このようにして誰かの発明や発見をみんなでシェアすることができた結果だと言ってもいいのです。

誰か偉大な一人の人間の成果を、みんなで共有することができて初めて、進化を可能なものにするのです。もしもそれができなければ、ニュートンの発見の後も、私たち一人一人が同じ発見をしなければなりません。

それでは、どれだけ時間が経ったとしても、人類の進歩を望むことはできませんね。なぜそんなことをここで言うのかというと、実は私たちが真に求めている真理については、みんなで共有することができないからです。

2500年前に仏陀が光明を得たときに、その成果を共有できたのなら、誰もが労せずして覚醒することになったはずなのです。

けれども結果を見れば明白なように、残念ながら、真理だけはまったく個人的なものなのです。真理は体験であり、理論や理屈で解明することができないものなのです。

思考を超越したものだからこそ、何かの法則や学問のように共有することが不可能なのです。だからこそ、真の宗教は個人的なものなのです。

教典や教義をみんなで読んだり学んだりする組織だったいわゆる宗教では、何万年学んだところで光明を得ることはできないのですね。

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