どんなことが起きても、自分は被害者ではないと気づくことができるなら、人生はまったく違ったように見えて来るのでしょうね。
被害者になるためには、外側に加害者がいる必要がありますね。そして、自分はその加害者に傷つけられたと実感しているのです。
けれども、外側の世界というのは自分の内側の投影に過ぎないということが分かれば、表面的には傷つけられたように見えても、実はその原因となるものが自分の中にあったということです。
実際、自分の内面を傷つけられるのは、自分以外にはありません。自分の思考、自分を守りたいと考えているエゴこそが、唯一自分自身を傷つけることができるのです。
外側にいる他人は、そのきっかけを単に与えてくれているだけだということ。自分だけが自分を傷つける可能性のある存在だということです。
このことを深く深く理解するに至るなら、立場を逆転させて、自分はどのようにしても相手の心を傷つけることはできないのだということにも気づくことができるのです。
その人の心が傷ついたとするなら、それはその人のエゴこそが傷つけた張本人であり、あなたの言動が何であれ、それは単なるきっかけに過ぎなかったのです。
大勢の人が、誰かを傷つけたとして罪悪感に苛まれているのです。教会で行われている懺悔こそ、まったくのお門違いなのです。
あなたはあなたのままでいいというのは、そういうことです。人を傷つけないようにと必要以上に気を使って生きるなら、間違ったところにエネルギーを使ってしまっているということです。